混乱する国(1)

 カンティーナと書かれた店はアンバーの伝統料理を扱ったクラシカルな雰囲気のレストランだった。大理石の床に古びたテーブルと椅子が複数。高級そうに見えるのに、入りづらさは感じさせない。奥の窓から見える庭が開放的でそれが居心地の良さに拍車をかけている。
 先に入っていったサボが入口近くのテーブルに堂々と座るので、向かいの椅子を引いても席についた。こんな素敵な場所なのに、なぜか客は一組もいないのが不思議で仕方ない。やはり国の混乱の影響が現れているのだろうと思われた。
 どっかと腰を下ろしたサボに横目でこれからどうするのだという視線を投げかける。話を聞くといっても、町の状態から考えてよそ者にべらべらと事情を説明してくれるとはあまり思えなかった。ますます警戒心を強めるだけなのではないか。
 と、思っているとサボがあっさりメニューを広げて、
「ひとまずは腹ごしらえだな。ちょっと早ェけど昼メシにしよう」

 おーい。と、悠長に店員を呼びつけたので大きなため息をついたは仕方なくそれに付き合うことにした。焦っても意味ないし、目立ったことができないとなるとこうして地道に内情を聞き出すことぐらいしかできないだろう。
 適当にいくつかの料理を注文したサボは手持ち無沙汰に帽子をいじりだした。向かいに座るも改めて彼と二人きりだということに思い至り、何を話したらいいのかわからなかった。勝手な行動による失態については一応謝罪をしてサボも許してくれた(ことになっている)し、終わったことを蒸し返すのもこちらの分が悪くなるだけだ。
 そもそもサボとは最近折り合いが悪くて、話をしてもすぐに喧嘩っぽくなってしまうためこの状況はにとって気まずいにほかならない。かといって料理が運ばれてくるまで無言というわけにもいかないから何か場つなぎになりそうな話題を切り出したいのに、全然思い浮かばず視線が宙をさまよう。
 内心あたふたするが見切り発車のごとく口を開こうとしたとき、
「……で、どうだったんだ?」

 なぜかサボのほうから話が振られて目を丸くした。それも脈略のない「で」という言葉を投げかけられて首を傾げる。何が「どうだった」のか、彼は一体なんのことを聞きたいのだろう。
 に話が通じていないことに気づいたサボは、がしがしと頭をかいて「あー」とか「だから」とか言いにくそうにしている。珍しい、本当に一体どうしたんだろう。

「えっと、総長はなにが聞きたいんですか」
「……だから、」
「だから?」
「……っ、特に何もされてねェんだろ?」

 言わせるな、みたいな投げやりの口調で、けれどはっきりとを心配する一言に思わず体が硬直した。
 何もされてない、とは。きっとハートの海賊団に捕まったときの話をしているのだ。言いにくそうにしているから何を言われるのかと身構えていれば、単純に自分を案じてくれていたのか。もしかしたらサボも、最近言い合いばかりするせいで切り出しにくかったのかもしれない。そう思ったらちょっと可笑しかった。昔はしょっちゅう、怪我がないかどうか確認されたっけ。

「大丈夫ですよ。確かに最初は殺されかけましたけど、事情を説明したらあっさり手を引いてくれました」

 これは本当のことだし、サボにも伝わっている内容だ。死の外科医という恐ろしい通り名がついているせいで構えていたところもあったのだが、仲間からの信頼が厚く無闇やたらに殺生するということはなかった。もちろんこちらが不審な行動を取らない前提ではあるものの、自由にさせてくれるのは意外だった。愛想が悪いのも最初だけで、気づけば彼の過去の話まで発展したことにはも驚いたものである。
 だから本当に何の心配もいらない、そういう意味で言ったつもりだったのだが――サボの表情はすぐれないまま難しい顔をしていた。

「総長……?」
「いや、うん。そう、だったな」

 歯切れの悪い答えを返したかと思うとそのまま黙ってしまったサボは、結局料理が運ばれてくるまで口を開かなった。でそれ以上追及することができず、同じように黙ったまま食事をすることにした。
 せっかく再会したというのに、こんな気まずくなるのならコアラかエリスと組んだほうがよかったのではないだろうか。サボだってそう思ってるはずだ。けれど、この組み合わせにしたのはほかでもないサボ自身なのでどんな意図があったのかはわからない。部下がこれ以上失態をおかさないよう見張り役のつもり、というのが一番あり得るが、の想像でしかなかった。
 お互いに黙々と食事を済ませた(おかげであまり味がわからないまま気づけば終わっていた)ところで、現状を探るためにサボが再度店員を呼びつけた。

「なん、でしょうか……」

 まだ若い――それこそと変わらないくらいの女性が恐々とした表情でこちらをうかがっている。見かけない顔ということもあって余計に警戒心が強まっているのだろう。だが、同じぐらいの年齢に見えるがいることで少なくとも危害を加えるような二人組だとは思われていないようだった。一定の距離を保ったままそれ以上近づいてこないその女性に苦笑したサボは、なるべく怖がらせないよう気を遣って問いかけた。

「最近この辺りで妙な輩を見かけたとか、普段と違ったこととか起きたりしてねェか? この状況になったきっかけとか」
「……というと、ハイデンベルク教会のことでしょうか」
「教会? なんで教会が関係してるんだ」
「実は半年前に司教様がお亡くなりになってから、少々厄介なことになっていまして……司祭同士で何やら揉めているそうなんです。保守派と革新派で」
「おいおい。じゃあ今この国には教会トップがいねェのか」
「はい。亡きグレイン司教の後継者には保守派のブラウン司祭が有力候補だったのですが、革新派の司祭たちに阻まれて、未だにもたついています。その影響が国民にも出ていて信者たちは混乱しているんです」

 彼女の口調から事の深刻さが伝わってくる。どうやら想像以上にこの国は混乱に陥っているようだ。
 の生まれは西の海の小さな島だが、信仰に値する神仏やそういった概念がない場所だったので教会のしきたりなどはあまり詳しくない。それでも同じ宗派で考え方や価値観に違いがある人間がいることは間違いなく争いの元だろうと思われた。そもそも考え方が違う時点ですでに同じ宗派ではない気もするが。

「ってことは、例の集団が革新派の人間を唆してるって線も考えられるな」
「あり得ますね。国の混乱に乗じてクーデターを起こすのは常套手段ですし、もともと革新派が存在してたならその隙をつくくらいわけないでしょうから」

 たちの話に店員の彼女はいまいち状況を把握できていない様子を見せた。無理もない。国民のほとんどは身内同士の争いごとだと思っているだろうし、時間が経てば自然と――そこまで考えての頭には一つの疑問が生まれた。

「待ってください。ここは教会国家ではありませんよね。統治しているのは君主ではないんですか? だったら教会がもめてもそれを治める国のトップがいるはずです」
「……」

 苦虫をかみ潰したような表情から、さらに何か問題が発生していることは明白だった。やがて重い口を開いた彼女の言葉から想像以上にこの国が危機に陥っていることがわかった。
 聞けばアンバー王国の現王が病で臥せっているため、実質統治しているのは直下にいる大臣たちだそうだ。いつ亡くなってもおかしくないということで、次期王として継承権を持つ王子が大臣たちとともに手を尽くしているらしいが、これがまた複雑なのだという。
 継承権を持つ王子は四人いて、法に基づくと生まれた順であるものの、実は王子がもう一人存在するという亡き王妃の手紙が見つかったという。なぜ今さらそんなものが見つかったのかは不明だが、ともかく王室は大混乱となり、そこへ教会の揉め事も重なったとかでもはや誰の手にも負えないのだそうだ。
 なるほど、王室は王室で混乱していて教会は教会で揉めている。どうりで国民の表情が暗いわけだ、巻き込まれるほうはただ成り行きを見守るしかないのだから。

「ただ、あなたたちの言う内戦はこのあたりのことではなく、もっと地方のほうだと思います。王都は確かに混乱していますが、まだ暴動が起きるほどには至っていません。まあ私たち国民は毎日ビクビクしていますけど」
「活気がないのはそのせいですか」
「本当はもっと賑わってるんですよ。観光客もそれなりにいますし、今が特殊なだけで」
「ありがとう。大体事情は掴めた」
「……あの、あなたたちは一体何しにここへ?」

 席を立ち、出ていこうとするサボとに彼女が訝しげな顔を向けて尋ねる。矢継ぎ早に質問を続けてしまったし、全身マントで覆っているせいもあって用事が済んではいさようならというのは怪しい人間にほかならない。はサボが答えるのを待ち、ちらりと彼を盗み見た。

「ああ、そういや名乗ってなかったな。おれは革命軍のサボ、こいつは部下の。おれたちはこの国でクーデターを計画しているという噂を聞いて調査しに来たんだ」
「革命軍……クーデターってそんな――ほんとうに……?」
「大丈夫です。起こる前に必ず阻止してみせます、そのために来たんです」

 は彼女を安心させるように強く言い切ると、小さく会釈して料金をテーブルの上に置く。先に店のドアをくぐって外に出ていくサボの背中を追いかけて、も店を後にする。去り際見えてしまった不安そうな彼女の顔に、心をえぐられそうになって。
 必ず阻止する。この言葉を嘘で終わらせないように、はそう自分の胸に誓うと前を歩くサボの隣に並んだ。