混乱する国(2)

 アンバー王都の中心である城下町は確かに国の混乱の影響を受けていると思われたものの、調査を開始してすぐに見た活気のない光景よりはだいぶ良いほうと言えた。メインストリートに連ねる土産屋やレストラン、ホテルといったよくある施設にはそれなりに客の存在があったし、少なくとも国民の営みというものが感じられた。地方で争っていると先ほど女性の言っていたことは間違いないのだろう、城下町から離れるにつれて治安が悪くなっていくようだ。
 カンティーナを出たあとも複数の場所で聞き込みをしたたちはすっかり日も沈んだ頃、潜伏先の宿へ到着した。最初の店で聞いた以上の情報は得られなかったが、一日目にしてはまずまずの結果である。先に部屋で休憩していたコアラとエリスとも合流し、たち四人は一階の食堂に介していた。
 厨房とテーブルを行ったり来たりする中年女性が忙しそうに皿を持ち運んでいる。器用なことに腕にも乗せて一気に何皿も持つ動きは手慣れた人のそれだった。その女性がたちのテーブルから去っていくのを見届けると、サボが口を開いた。

「コアラ、エリス。お前たちが得た情報を教えてくれ、整理しよう」

 ほかのテーブルにも客がいることから、サボの声はいつもより小さい。頭を突き合わせてひそひそ話でもするかのように、しかし不自然にならないように料理を取り分けながらコアラが調査結果を報告する。

「私たちのほうは怪しい人たちが出入りしてるバーがあるって聞いたよ。ここ一か月くらいで見かけない顔ぶれが来てるんだって」
「それ本当か?」
「間違いないと思う。城下町の名の知れた鮮魚店のおじさんが夜に見かけたらしいんだけど、複数人で訪れて夜更けにどこかへ帰っていくみたい」
「メインストリートからはずれた細い路地はガラの悪い雰囲気ありましたもんね。酔っ払いも多いそうですが、そのおじさんが店を閉めて帰宅途中で見たんだとか」

 エリスもコアラの言葉に続けて情報が確かなものであると主張した。
 二人は真っ先に城下町まで調査しに行ったらしく、メインストリートからいくつもの路地があることを鮮魚店の人から聞いたという。その一角には柄のよくない人が集まる柄のよくない店が多くある。違法賭博が例にあげられるが、その怪しい集団はゲームに参加するでもなく酒をあおってただ話しているだけなのだそうだ。

「実際エリスちゃんとその店まで聞きに行ったんだ。最初昼間は営業してないって断られたけど、事情を説明して話を聞かせてもらったの」
「話してる内容については?」
「店のマスターはそこまで聞き取れなかったって言ってた。ただ、一つだけ……マーティンという単語を呟いていたみたい」

 コアラがその言葉を口にした瞬間、周囲の空気が冷えたような気がして身震いした。だがすぐに元通りになり、その正体が掴めなかったので自分の勘違いだと思うことにしてやり過ごすことにする。実際ほかの三人の表情に変化はないし、本当に思い過ごしだったのかもしれない。

「そうか」

 サボが発した声はのっぺりとした抑揚のないものだった。そこにどんな意味が込められているのか、には推し量ることができず、かといってどういう意味なのか聞くこともできない。ただ、隣で話しているはずの彼がなぜか遠い気がして、急に心細くなっていくのを感じながら黙って話し合いに参加していた。


*


 は久しぶりに一人でゆっくりできる夜であることにほっとしていた。最近は慣れない場所で就寝をしていたこともあり、寝つけないことが多かったからだ。とはいえ遊びでこの国に来ているわけではないので、気を抜く瞬間が訪れるというわけでもない。
 二階から三階が宿泊部屋となっている宿屋の二階の四室をたちが使用している。観光客が減っているせいか、それなりに空室があり一人一部屋を取ることができたのだ。
 備えつけのベッドに横になったは、今日の出来事を一つずつ振り返っていく。やっとの思いでサボたちに再会し、自身の行動の愚かさを謝罪することができた。そして流れるまま彼と二人で調査を始めて、一日目が終わろうとしている。
 気まずくなるかと思われたのだが、意外にもサボはこれまでと変わらず接してくれるし、調査がうまくいかないほどの事態にもならなかった(まあ多少ぎこちないやり取りはあったが)。もちろん彼の心情はの想像にすぎない。結局、アンバーに来ることになってしまったからサボの思惑通りではないんだろう。それでも自分がの面倒を見ることで、彼は彼なりに落とし前をつけているのかもしれなかった。だったら、やはりは上司の役に立てるよう動くしかない。
 明日も調査は続くし、早く眠ってしまおう。目を閉じたが羽毛のかけ布団をかぶった時である。
 ガチャン――
 微かに金属音が扉の外から聞こえて、閉じた瞳をもう一度開く。上半身を起こして音がしたほうに顔を向ける。宿にはたち以外の宿泊者ももちろんいるし、二階にいるのもたちだけではない。だから気にとめる必要はない。きっと誰かが何かを落としただけなんだろう。頭の中ではそう思っているのに、なぜかの足は扉の外へと向かっていた。
 ゆっくりと足音を立てずに部屋の扉を開けたは、しかし隙間から見えた階段を下りていく後ろ姿に目を見開いて困惑の表情を浮かべた。

「エリスちゃん……?」


 メインストリートからはずれたいわゆる路地裏は確かに治安が良いとは言い難かった。怪しげな看板が立ち並ぶところや、その看板さえないのにぞろぞろと人が地下への階段を下りていく姿が見られる。だらしなく地べたに座って酒瓶をあおる酔っ払いも多い。なるほど。いかにも、な場所だ。
 信じられない思いでそこに立っているは震える手を抑え込むように見知った背中を凝視していた。
 エリスちゃん。
 時間は日付が変わる少し前。彼女は一体何しにこんな場所を訪れているのだろう。まさか一人で調査をしているわけではあるまい。かといって、彼女が怪しい人間と密会する理由も思い浮かばず混乱するばかりだった。
 ひとまず彼女が入っていった場所を確かめるために、とある建物の地下へ入っていくのを見届けたところでもそこへ近づいていった。周囲を気にして入っていく姿はやはり怪しい。彼女らしからぬ行動である。
 かろうじて看板と呼べるそれには何か文字が書いてあるようだったが、かすれて読めなかった。ともかくエリスが入っていったのはこの店のようだ。本当ならこのまま追いかけて何をしているのか確かめたいところだが、中がどんな作りになっているのかわからない以上、一人で乗り込むのは危険といえた。ただでさえ単独行動をとって問題を起こしたばかりの身だ、勝手な判断でまた迷惑をかけたら今度こそ任務にはつれていってもらえないだろう。
 は進みたい気持ちをぐっとこらえて、来た道を戻ることにした。エリスの行動は現段階では何も判断することができない。確かに不可解だが、今はまだ様子を見るということにとどめておくことにしては宿へと足早に戻っていった。