メルティング・ハート(1)

 城下町の朝は思いのほか早いらしい。起床後、準備を整えて食堂に向かうと結構な賑わいを見せていた。宿の外もすでに出歩いている人がある程度いる。ほかの店ももう開店しているのだろうか。同じ王都の中でも活気がある場所とない場所でかなり差があるようだ。
 コアラとエリスが食堂のカウンターに座っている。だがサボの姿は見えなかった。まだ寝てるのかもしれない。の位置からはエリスの横顔が見える。コアラと談笑しているようで、まるで昨日見た光景は幻だったのではないかと錯覚しそうになる。違和感なく溶け込んでいる様子でコアラも警戒していない。やはり昨日のあれは何か事情があったのだろうか。知り合いでもいたのかな……。
 立ち尽くしているに気づいたコアラがこちらに向かって手招きしたので慌てて我に返る。が変な態度をとれば警戒心を生んでしまうし、下手に探ろうとして何かを疑っていることに気づかれても困る。確証のない今は様子を見るしかない。
 は空いているエリスの隣に座って二人に挨拶を返した。

「よく眠れた?」
「うん、久しぶりに」
「それはよかった。今日も一日歩き回るだろうから体力が必要だもの」

 が座ると同時に昨日と同じ女性がカウンターから朝食を持ってきてくれた。スモークサーモンとクリームチーズがのったオープンサンドにサラダとスープ、ヨーグルト。独特の酸味に焦げた茶色はライ麦パンだろうか、食べやすいサイズでぺろりと平らげてしまった。
 すでに食べ終わっている二人は食後の紅茶を飲んでいた。サボがまだ起きてこないのをだらしないなんて呆れながら「先に行くね」とコアラが立ち上がる。

「あ、コアラさん! 待ってください」最後の一口をぐいっとあおったエリスが追いかけるように椅子から立ち上がっていく。早くしないと置いていくよというコアラに、まるで姉妹のような仲良いやり取りを複雑な想いで見つめていたは、大きくため息をついて残りの朝食に手をつけた。
 今日も同じ組み合わせでの調査らしい。なかなか姿を見せない上司を恨めし気に思い、階段の先を睨む。サボが欠伸を噛み殺しながらやってきたのはそれから三十分経ってからだった。


*


 昨日の報告会から、今日はとサボが城下町を中心に情報収集にあたることになった。コアラたちは地方に近い王都周辺をあらうという。
 王室と教会。加えて地方の内戦。絶えない問題を抱えた国は外部に狙われやすくなる。相手に隙を与えるからだ。歴史は浅くとも、多くの移民の知恵とこの近海にある未知の鉱物のおかげでアンバー王国は他国に劣らぬ大国へと成長していった経緯がある。だからこそ、クーデターで一国を奪おうなどと考える集団からは守り抜きたいと思う。
 城下町の様子は昨日とさほど変わりなかった。まったく活気がないわけでもなく、かといって普段の人通りはもっと多いのだろうから逆に調査するには打ってつけな環境であるといえた。国民にとってはただでさえ見かけない人間なのだから目立った行動は控えるべきだ。
 宿を出てどこへ向かっているのか、サボの足はなぜかメインストリートではなく例の柄の悪い路地へ入っていく。まさか昨日の光景を彼も見ていたわけではないだろうが、このあたりは大体が夜からの営業だと思われるので今行っても追い返されるだけのような気がした。酔っぱらってそのまま路上で寝てしまっている人もいて、なんだか妙に落ち着かない。

。立ち止まってどうした?」

 ためらってその場から動かないを、サボが不思議そうに振り返る。確かに情報は集まりそうな場所だが、どうにも足がすくむ。別にこうした場所が初めてではないのに、体が先に進むことを拒否しているみたいだった。
 しかし、悟られたくなくては質問で返した。

「総長、この時間帯はお店が閉まってるんじゃないですか」
「ん? ああ、まあ大体はな。けど朝から営業してるとこもあるんだよ」

 そのほうが柄の悪い奴らも少ねェだろうし。
 ぼそっと呟いたつもりなのだろうが、の耳にもしっかり最後まで届いていた。すでに前を向いてしまったからサボの表情まではわからない。けれど、には恥ずかしさを隠すように仏頂面を作っているであろうことが想像できる。厳しいことを言うようになっても、こういうところは変わってないなあ。
 昔の――兄妹のようだった頃、何かと気を遣ってくれたサボは、にとってヒーローみたいな存在だったから。笑うことができなくなったを救ってくれた、世界でたったひとりの――

「ところで。お前……あいつとはどんなこと話したんだ」

 回想に浸る間もなく、唐突に話題を切り替えてきたサボに「……えっ」の反応は少し遅れた。しばし逡巡してから「あいつってトラファルガーさんのことですか?」と確認のために聞き返す。

「ああ」
「どんなことって言われても、別に普通のことばかりですよ? まあ最初は険悪な雰囲気でしたけど、私が革命軍の人間だってわかってからは比較的優しくしてくれました」
「……」

 答えたものの、サボはしっくりきていない様子で不服そうにしている。そんな顔をされてもはどう答えるのが正解なのかわからない。さっきまで盛り上がっていた気持ちが急に勢いをなくしてしぼんでいく。
 立ち止まったサボはこちらに詰め寄ってきたかと思えば、真剣な眼差しでを見つめた。

「いや、おれが聞きてェのは……過去の話とかそういうことなんだが」
「過去の、話……?」

 思わず聞き返してしまったのは動揺したからだったのだが、はたして彼がそれに気づいたのかわからなかった。普通に聞き返したと思うし、表情に出したつもりもない。だからきっと大丈夫なはずだ、そう思って「何も話してないですよ」と笑って答えたのだが、
「……そうか」まるで傷ついたのを隠すように笑って見せたサボに、今度は明らかに動揺してしまい何も言えなくなった。
 どうしてサボがそんな顔をするのだろう。だってそんなの、サボには一ミリも関係ないことなのに。サボが気にすることなんて何もないのに。まるで悪いことをしてしまったような居心地の悪さを覚え、はサボの顔が見れなかった。
 本当のことを言えば、ローとは過去の話をした。した、というより向こうが勝手に話してくれただけでは聞く側に徹していたのだが。けれど、それは革命軍にとって――サボにとって必要のない話であり、完全にローのプライベートな話だ。だからは話す必要がないと勝手に判断して「何も話してない」と答えたのだ。それ以外にとローとの間に”過去の話”は一切ない。嘘をついていると言えばついているが、後ろ暗いことがないので問題ないはずだ。
 結局、サボも深く追及してこなかったので話は自然と打ち切られる形になった。しかし昨日よりさらに二人の間の雰囲気が悪くなっているのは確実で、お互い気まずいまま目的の場所まで沈黙を続けた。
 微妙な距離を取りながら、サボの足が向かった先は最初に入った路地から枝分かれしたうちの一本にあるバーだった。看板は何かの拍子で壊れたのか、かろうじて存在しているといった程度。どうやらこの辺で朝から営業しているのはこの店だけらしい。狭い階段を下りていくと、まだ十時前だというのに客は結構な数でほとんどのテーブル席がうまっていた。
 紫煙とアルコールの臭いに鼻をつまみたくなるのを抑えながら、サボが堂々とカウンターへ向かっていくのでもそれに続く。

「ちょっと話が聞きてェんだが、店主はあんたか」

 カウンターの内側でコップを拭いていた男は見るからにそういう店の人間だというのがわかる風貌をしていた。目つきが悪く、無精ひげとでかい図体のせいで余計に恐怖が増す。仮にも客であるはずのたちに対し、一瞥を寄こしただけで無視ときた。

「おいおい、兄ちゃんたちよォ。この店で情報を買うってんならゲームで勝負するしかねェぜ? ここはならず者の集まるところ、タダで何かを得られるような場所じゃあない」

 店主の代わりに後ろから声がかけられた。カウンター近くのテーブルを囲む四人組の男のうちの一人が、下卑た笑みでこちらを見ている。朝っぱらからジョッキを片手にカードゲームとは随分な身分だ。
 しかし男の言うことにも一理あった。海賊が集まるような酒場やこうした人目につかないバーは大体が法から逸脱して運営されている。正攻法で聞き出そうとしても相手がそれを許さず、いつのまにかそのペースにはまって金銭を巻き上げられてしまうのだ。だからどんなゲームをやらされるかもわからないのに、ここで首を縦に振るのは危険な気がした。
 しかしそんなの不安をよそに、サボは一度考える仕草を見せてから納得したように笑って答えた。

「その勝負乗った!」