メルティング・ハート(2)

 男の顔が微かに歪んだのを見て、はしめたと胸の内でほくそ笑んだ。
 サボが座る席の少し後ろに立ちながら、彼の手札をちらっと確認する。勝負の行方はまだわからないものの、リードしていることだけはわかる。サボが賢いことは革命軍の中じゃ有名な話だがこういう類も得意なのは意外だった。
 カードゲームを吹っかけてきた男が持ち出したのは「バトルフラッグ」という聞いたことない名前のゲームだった。九つのフラッグをテーブルの真ん中に立て、先に五つ取ったほうが勝ちらしいが、勝敗がシンプルな分攻略の仕方は複雑なようだ。
 フラッグの奪い合いに使うのは一から十の数字がふられた五色の軍隊カード。まず、各自七枚を手札として持ち、残りはフラッグの隣に山札として配置する。さらにこのゲームには戦術カードといって、一発逆転などが狙える特殊効果のカードも存在する。
 一枚出して一枚山札から引くという動作を繰り返し、三枚一組で役を作って勝負するのだが、いきなり役を作らずにいろいろなところに置いて相手の様子をうかがったり、良いカードがくるまで粘るというパターンも考えられる。役は同じ色で連番が一番良いといったルールは他国でよく行われるポーカーと似ている。つまり、軍師となって相手より強い役を作り、フラッグを獲得すればいいらしい。
 サボの手札には青の<王>が一枚、紫の<騎兵>が一枚、黄色と青の<重装騎兵>が一枚ずつ、緑の<槍兵>が一枚、赤の<副官>が一枚あった。山札から一枚手に取ったのは青の<重装歩兵>である。

「仕方ねェ、おれはスカーミッシュだ」

 と、男が出してきたのは青の<弓兵>である。緑の<剣士>、赤の<槍兵>と合わせて3、4、5の連番になっていた。しかし対するサボの役は一つ上のバタリオン。同じ色で三枚がそろっている。

「じゃあ、このフラッグはおれのだな」
「クッソーあんちゃん、ほんとに初心者かァ? 随分と手慣れてるじゃねェか」
「初めてさ。まァ仕事柄、こういうことはしょっちゅうあるんだ」

 不敵に笑ってみせたサボは自身の近くに五つ目のフラッグを置くと、「よし。おれの勝ちだ」手札を山札に戻して勝負を終わらせた。満足げに立ち上がり、対戦相手の男に軽く挨拶をして再び店主の元へ。
 男が頭をがしがし掻いてとても悔しがっているところを見ると、サボの戦術はどうやら相手を翻弄したらしい。頻繁にこんなことをしているというのは初耳だったが、なるほど初めてプレイするといっても持ち前の明敏な頭脳でお手のものというわけだ。
 上司の意外な一面を見たは感心して彼の背中を見つめる。またひとつ、彼との差を感じてしまい勝手に落ち込んで気分が下がる。別に駆け引きに強くなりたいわけではないが、何でもそつなくこなせるのは羨ましい特技だと思う――って、今はそんなことを考える余裕ないんだってば。首を振って無理やり思考を打ち切る。
 店主の目の前のカウンター席に腰を下ろしたサボは改めて同じ言葉を繰り返した。

「……で、ちょっと話が聞きてェんだが」


*


「マーティンって名前、昨日も出ましたけど何者なんですかね」

 店主から話を聞き終えた頃にはすっかり昼も過ぎて、もう午後の三時を回っていた。どうりでお腹の虫も鳴るわけである。メインストリートに戻った先で、手軽に食べられるハンバーガーの店を見つけたは二人分を購入して一つをサボに渡した。現在、それを片手に食べ歩きながら宿に戻っている最中だ。
 ゲームに勝った報酬として、昨日コアラたちが話していた怪しい集団について聞くことができたのは運がよかったと言えた。例のバーに出入りしている連中は、この辺じゃ見かけない顔で最近になって路地裏をうろついているという。一番の収穫は数日以内に何かしら動こうとしていることだろう。店主によれば、「リーダーが到着した」らしいので、近々大きな行動に出ることは間違いなさそうだ。
 仮にも自国の出来事なのにバーに入り浸る人間にはどこか他人事のように感じられて違和感を覚えたのだが、どうやらほとんどが他国からの客や立ち寄っただけの放浪者といったアンバーとは無縁の者たちばかりらしい。もしクーデターが本当に起こったとして、逃げ道はすでに確保しているから問題ないという。
 彼らのいう「クーデター」がどういった目的で行われるのか、には単純な国の弱体化に乗じた国盗りに思えるが、サボの中では何かほかの考えがあるのだろうか。を避けるほどのことが。
 この国の歴史も民も生き方も知らないができることは、見知らぬ脅威から守ることだけでそれ以上もそれ以下もない。何が待ち受けていようともやることは変わらないし、足手まといにならないために常に気を張っていなければ。
 エリスのことも気がかりだった。結局、サボにもコアラにもまだ伝えていない。伝えたところで証拠がないし、調査の輪を乱すだけだ。確実な情報を得てからでなければ二人だって警戒しようがない。
 難しい顔を崩さないままハンバーガーを頬張る器用な上司の横顔を見ながらは返事を待った。

「……お前は気にする必要がねェことだ」
「え?」
「その名前は二度と出すな」
「……っ」

 もぐもぐと口を動かし始めたサボはこれ以上その話題には触れたくないらしい。サボにしては高圧的な言い方であり、これは「足手まとい」発言のときと同じ雰囲気である。何物も寄せつけない、それ以外認めないという厳しいときの参謀総長。に対して発揮することが多い――というのは自身の感触だが、少なくとも同僚のエリスにこうした話し方をしている記憶はない。
 ゲームの一件で戻ったかに思われた雰囲気が再び険悪になりつつあるのを感じたは、会話を続けることを諦めて歩く速度を緩めた。鼻の奥がつんとしたからである。並んで歩いていたら、きっと泣いているのがわかってしまう。
 ハンバーガーが涙で少し滲み、味もよくわからないまま胃の中へ押し込まれていった。


*


 夜のメインストリートは昼間と雰囲気ががらりと変わって大人たちのたまり場とでもいうのか、やたらと酒場の看板が目立っていた。もちろんお洒落なレストランもあるにはあるが、どちらかと言えば飲み屋街といったほうがしっくりくる。
 そんな飲み屋が立ち並ぶ通りの一件に独りで来ていたサボは、カウンター席で酒をあおっていた。もう何杯目になるのか、酔いも回って良い具合に出来上がっている自覚はあった。普段こんな身勝手で自暴自棄な行為はしないが、心証ダメージが相当大きかったらしい。
 トラファルガー・ローと過去について何か話したか。そう問うた瞬間のの動揺は気づくことが難しいほど些細な動きだったが、サボにとって関係ない。表情にこそ出てないものの、体は正直に反応するものだ。一瞬びくりと肩を震わせたのを見逃さなかった。
 の答え方は明らかにそれだとわかるのに、深く追求することはしなかった。本当のことを聞くのが怖かったのかもしれない。もし「聞いた」と言われたら、果たして自分はなんと答えたのだろう。
 これまで彼女に対してアンバーに関することはすべて遠ざけていたつもりが思わぬ形で知られてしまうし、加えて捕まった相手がトラファルガー・ローという海賊ときた。ドフラミンゴと因縁があるようで、これが一筋縄ではいかない曲者だから困る。十年前のことも知っているふうだったし、それがに伝わったのかどうか気が気でないというのに。
 だが、がこちらに真相を聞いてこないということは伝わっていないと考えてもいいかもしれない。彼女のことだから知ったら何が何でもつきとめようとするに違いない。だから、それをしてこないということは奴からはまだ何も聞いていないとも取れる。
 じゃあ、あのときの態度はなんだってんだ……。

「ああ、クソっ……もやもやする」

 ジョッキに残っていた一口分を一気に流し込んだサボは、カウンターに突っ伏すともう一度うなり声をあげた。情けなくてこんな姿、にはもちろんコアラたちにだって見せられたもんじゃない。各テーブル席の喧騒とかけ離れたカウンターでしんみり感傷的な気分で飲んでいた。今日の夕食は断って一人で飲ませてくれと願い出たのだが正解だったようだ。
 近々マーティンの残党の動きがあるとみてまず間違いないというのに、この有様とは参謀総長という肩書きが聞いてあきれる。しかし心とは時として思うように制御できないこともあることもまた、サボは知っていた。

「飲み過ぎじゃねェのか兄ちゃん」

 向かいのカウンター内側で作業していたマスターと思わしき剛健な男が苦笑気味にこちらへ言葉を投げかけた。不貞腐れた態度で飲んでいるのが自分だけらしい、先ほどからちらちらとサボのことを見ているのは知っていた。
 最近の情勢の影響か、海賊がこの国に上陸している様子はないようで周りの客はこの町に住む人々ばかり。そのせいもあって、常連客でない自分が不機嫌そうに飲んでいたら気にするなというほうが無理な話か。

「悪いな、そろそろ出るよ」
「……」
「大丈夫、その辺で寝たりしねェから。ちゃんと宿まで戻るさ」
「気ィつけて帰れよ」
「おう」

 適当に代金をカウンターの上へ置いたサボは重い腰を上げて酒場を後にした。
 外に出ると涼しげな夜風が吹いていた。城下町の夜はまるで国の混乱を知らないほど賑わっている。気楽なものだが、あえて明るく振舞っているのかもしれない。自分たちの生活は国の混乱などで脅かされないぞという意思表示。緊急事態が起きたとき、必死に生き抜こうと国民は高い結束力を発揮するものである。