メルティング・ハート(3)

 どうしてこんな状況になっているのだろう。の脳内では比較的冷静にもう一人の自分が判断を下そうとしていた。しかし考えたところで答えは出そうになく、ともかく覆いかぶさるまるで駄犬のようなこの人をどうにかしなければと身じろぎを試みた。

 事の始まりは二日目の夜が終わろうとしていた頃だった。夕食のために食堂へ行ったらなぜかサボの姿が見えず、どうしたのか聞けば「飲んでくる」といって一人で外出してしまったらしい。コアラによると、かなり不機嫌だったそうだ。
 といえば、調査という名のゲームを終えてサボと二人で宿に戻る途中、喧嘩とまではいかないものの気まずい雰囲気になってしまったために、宿に戻ってからは顔を合わせていない。昨日と同じように報告をしながら女三人で夕食を済ませたあとは、各自部屋で過ごしていた。
 このまま明日になるのを待つだけ、また明日になったらきっと普通に会話ができるようになるはず。そう開き直ってベッドに入ったときだった。
 ドンドンと叩きつけるような音が部屋の外から聞こえて、は意識を音のほうに向ける。こんな乱暴に扉を叩くような知り合いはいないはずで、思わず警戒心を強めた。
 一体こんな時間に誰だろう。仲間の誰かであれば「」と声をかければ済むというのに。恐るおそる近づいていき、万が一に備えて臨戦態勢で扉を開けてみると――

「わっ、え……?」

 自分より遥かに大きい男が転がり込んできたために思わず声を上げただったが、すぐに相手を認識して首を傾げた。
 確認するまでもない。明るい金色の髪とブルーのシャツに黒のロングコート。間違いなくサボであることに気づいたのだが、状況が読めず頭の中は疑問符でいっぱいだった。どうしてサボがここに? 彼の部屋はのもう一つ左のはずだ。
 雪崩かかるようにしての目の前に現れた彼は、を認識しているのかいないのかそのまま体重をこちらに預けてしまった。

「そ、総長……?」

 赤く染まった頬に、服から臭うアルコール。どうみてもかなり飲んでいて泥酔している。コアラから「飲んでくる」という話は聞いていたが、まさかここまで酔って帰ってくるとは誰が予想しただろう。閉じかかっている目に、力の抜けた四肢、若干乱れた衣服。サボらしからぬ行動だった。長く彼と付き合いがあるは上司のこんな姿を見たことがない。
 しかしこのままではいろいろとまずいので、ひとまずはサボの意識をどうにかして浮上させようと試みる。酔っているとはいえ、さすがに自我をなくしたわけではあるまい。

「あの、総長……ここ私の部屋です。一緒についていってあげますから、とりあえず起きてもらえますか?」
「……む、い」
「はい?」

 重たそうな瞼をかろうじて開けたサボがぼそりと何かを発したのだが、聞き取れずには間の抜けた返事をする。もう一度問おうと試みるも、徐々に脱力していく目の前の彼を支えるのに精一杯となり、自分の状態を把握しきれなかったはついにバランスを崩して二人共倒れという形になってしまった。
 幸いなことは床が絨毯だったことだろう。あとはなんとか受け身を取れたことだ。そうでなければ、後頭部をしたたかに打ちつけて今頃大変なことになっている。自分より大柄な人間とはいえ、これまでの訓練の賜物と言ってもいい。戦闘には向かないも、護身術やある程度の危機回避能力は持ち合わせている。まあ今も大変な状況であることに変わりはないけれど。
 入口から部屋までの廊下とも呼べないほどの通路はさほど広くない。大の大人がこんなふうに寝っ転がるような場所ではないのだ。だからは重くのしかかる上司の背中を優しく叩いて「総長」と呼びかける。

「こんなところで寝たらいくら総長でも風邪ひきますよ? 起きてください」
「んん……」

 え、嘘。本気で寝るの? ここ私の部屋だって言ったよね? というか床だし。
 混乱しながらはどうやったら絨毯とサボの間から抜け出せるかを必死に考える。肩口にかかる吐息のくすぐったさに身をねじろうとしても、大人の男性の体重――しかも完全に脱力した状態ではの力など到底及ばない。おまけにアルコールの臭いも強いし、飲んでいないはずのも酔ってしまいそうだった。

「どうしよう」

 ここからベッドまで這いつくばっていこうにも距離がありすぎる。サボを抱えてなんてもってのほかだ。コアラやエリスを呼ぼうにもこの状態では無理だし、時間も時間であるから寝てるかもしれない。八方塞がりだった。
 当の本人は先ほどの返事を最後にすっかり眠りについたようで、まるで自分が今どこでどんな状態で寝ているのか理解していない様子である。実際たぶん理解していないだろうと思う。
 こうなったらもう諦めて流れに身を任せるしかないが、サボがいつ起きるかわからないとあっては途方に暮れる。最悪の場合、朝までこの状態という場合もあり得るのだ。それだけは避けたいとは思っても、に為すすべはなく、視界に映る少し汚れた天井を見つめて重い溜息を吐いた。

「もお……どうしてこんなになるまで飲んだんですか」

 文句を言いつつ、うつ伏せで苦しくないのか気になったは少し体をずらしてサボの顔を覗き込んだ。酔いが回っているようではあるが、気持ち悪さはない様子なのでこのまま寝かせておいてもいいだろう。ただとしてはずっとサボの下敷きでいるのは体力的につらいものがある。どうにか目が覚めてほしいと願いながら、でも眠っていると最近の厳しい表情とはかけ離れたあどけなさに胸の鼓動が早くなる。
 どうしてか毎回サボと言い合いになってしまうは、しかし彼が嫌いなわけではなくかといって自分がどういった感情を抱いているのか明確に答えを出すには至っていない。兄のような、でも何か違うような。支えたいと思うし、サボの”自由”への想いにも賛同している。何より父の後を継いでいるのだ、間違っても彼の意志に背くことなどないと誓って言える。
 だが、時々サボの、を革命軍の戦士として認めていないのではないかという不満を感じてしまい、結局ああやって反発して困らせているのが現状だった。共に戦い、その肩書きに見合うような部下でありたいのに。どうしてわかってくれないのだろう。

「私は総長の役に立ちたいんですよ……」

 手持ち無沙汰の右手が思わず、サボの髪に触れていた。さらさらとすり抜けていく感触に切なくなり、なぜか泣きそうになったは視線を再び天井に戻して、早く時間が過ぎていけばいいと切に願った。
 そうして次第にもだんだん思考が鈍ってきたかと思うと、ゆっくり微睡んでいった。