揺れ動く心(1)

 が目覚めたとき、なぜかベッドの上で寝ていたことに驚いたのは言うまでもない。加えて自分一人であることにも戸惑いを隠せず首を傾げた。の記憶では確かにサボが覆いかぶさって二人して床に倒れていたはずだったのが、朝になったら一人で寝ていたことになっている。しかも床ではなくきちんとベッドの上に。
 とはいえその理由は考えなくとも、サボが途中で起きて運んでくれたということはすぐにわかる。どうやら彼は夜中に正気を取り戻したらしく、ここが自分の部屋ではないことに気づいて律儀にをベッドに寝かせて戻っていったようだ。
 朝の八時を過ぎた頃である。泥酔するサボの姿を思い出して、きっとまだ寝ているに違いないと判断したは今がチャンスとばかりに急いで身支度を済ませて階下へ向かった。案の定、食堂にはコアラとエリスしかいなかったのでほっと胸をなでおろす。別にやましいことはないから気まずくなる必要もないのだが、内心的には会いづらい気持ちがまさっていた。
 だから彼が不在なのをいいことにはある提案を持ちかける。

「コアラちゃん。今日の調査は私とエリスちゃんじゃダメかな」
「どうしたの? サボ君と何かあった?」
「そういうわけじゃ、ないんだけど……」

 言葉に詰まらせるに、コアラたちは不思議そうに首をかしげる。二人には昨日のことを話していないので無理もない。理由もなくペアを変えてほしいというのは確かにあやしいが、かといって正直に打ち明けてサボの失態をさらすのも忍びない。
 それに、なんとなく自身が二人に話すのを躊躇ってしまったのだ。サボの情けない姿を知られたくないとでもいうような、それはある種の優越感のような感情に近いのかもしれなかった。だけが知っていればいい、そんなふうに思うのは勝手だろうか。

「いいよ。詳しくは聞かないであげる、今はね」

 決して思いつめているわけではないのだが、コアラが何か事情を察したらしく意外にも簡単に折れてくれた。の表情からどの程度汲んでくれたのか、皆まで言わずとも通じたようで安心する。"今は"というのが気になるけれど。

「……ありがとう、コアラちゃん」
「エリスもそれでいい?」
「私はどちらでも構いません」
「エリスちゃんもありがとう」

 二人にお礼を伝えると、食事を終えたエリスは部屋で休憩するからが食べ終えた頃にまた来るということで彼女を見送った。
 突然コアラと二人きりになる。食堂はまばらな宿泊客で静かなので沈黙がやけに耳に痛く感じる。何か聞かれる気がしては「今日はちょっと暑いね」と、とりわけ意味のない台詞を吐いた。

「で?」
「え、なに――」
「とぼけないの、わかってるんだからね! 昨日サボ君と何かあったんでしょう」

 コアラの顔がぐいっと近づいてまるで尋問でもするような雰囲気に思わず仰け反る。諜報活動に長けているだけあってさすがに鋭い。いや、そうでなくてもいきなりペアの変更を願い出るのは何かあったと白状しているようなものか。その証拠に疑問ではなく、完全に「何かあった」と確信した聞き方だ。

「さっきは詳しく聞かないって言ってなかった?」
「気が変わったの。これでも二人のことは心配してるんだからねーいろいろと」

 いろいろという部分に含みを持たせた言い方は、本当に見透かされているように感じてしまうから心臓が跳ね上がる。別に悪いことをしているつもりは一切ないのに気が咎めてしまうのはなぜなのだろう。昨日のことだってどちらかと言うとは被害者なのだが。
 とはいえ、コアラにもサボとの気まずい雰囲気が伝わっている上に心配までされているとは。正直サボへの接し方に困っているというより、自分の気持ちがよくわからないせいで勝手に気まずくなっている。

「私、自分がよくわからなくなってきた」
「……どういう意味?」
「うーん、なんて言うんだろ。今まで総長のことはお兄ちゃんみたいな感じで慕ってるんだけど……最近自分にだけ厳しいし、エリスちゃんには優しい態度を取ってるところを見るとモヤモヤするっていえばいいのかなあ……とにかくそんな感じなんだ」
「それってサボ君のことをお兄ちゃんじゃなくて、一人の男の子として意識してるからじゃない?」
「……え。そういうこと、なの?」
「だって、ほかの人にはそうならないでしょう? 反発したくなるのも気持ちの表れだと思うよ」

 問われて、これまでの出来事を思い返してみる。
 がすることに対して難癖をつけるサボ、ここのところ何かと衝突し合うことが多いせいで自分の気持ちなんて考える余裕もなかった。当たり前のように隣にいてくれた存在だが、同時に仲間として頼もしく気づけば父と同じ立場を引き継いでいる。
 そんなサボをは兄のように慕ってきたし、これからもその関係性は変わらないものだと思っていた。けれど今、彼はを無理やり任務から引きはがそうとしたり、足手まといなんて言葉でわざと距離を置くような言い方をしたり、言いようのない壁を感じてしまうのは気のせいではないはずだ。そこにどんな意味があるのか、には知る由もないが、コアラの言う通り反発したくなるのも事実で、だからこそ困っているのである。
 役に立ちたくてここにいるのに仕事を任せてもらえない。だからつい言い返して衝突する。しかもの同期には優しい。その繰り返し。サボに対する気持ちは一体何なのだろう。上司に対する不満なのか、それともコアラの言う"意識"をしているからなのか。ますますわからなくなってくる。

「総長をそういう目で見たことないんだけどな」
「じゃあ考えてみて。たとえば、サボ君とエリスちゃんが恋人になったらどう?」

 再び問いかけられて、はうーんと唸って考え始めた。食事をとる手は止めずに思考だけ飛ばして。しかし、質問を投げかけた本人であるコアラはカップの残り一口を飲み干すと、「少し食休みする」と言って席を立った。

「ゆっくり考えてみたら? この機会に」

 まだ食事中のを残して、コアラは客室がある二階へと消えていく。
 ぼうっとその様子を見ながら、ゆっくり口を動かしての思考は再び沈んでいった。


*


 アンバー王国に入国してから三日目の朝。ローは今日も同じように王都周辺を調査していた。適当な宿を取って寝泊まりしつつ、ひたすら情報集めをするのはしがない稼ぎ屋に似ている。とはいえ別に宝探しでも海賊狩りをしに来たわけでもないが。
 歴史が浅い国だけあって古めかしい建物が少ないアンバーは景観もまたほかの国とどこか違う雰囲気を持つ。かといってシェンツァのような科学が発展した場所でもないので、街並みはどこにでもありそうな商店が並ぶそれと同じである。
 しかし、ローが二日間滞在して感じた印象は観光地といった活気溢れる風景とは異なっていた。
 上陸して王都のほうへ向かう途中にある小さな町はどこか陰気臭く、光を失い寂れた雰囲気が漂っていたのだ。住民の目も余所者を歓迎するどころか、何しに来たのだと威嚇するような視線を感じる。目に見える内紛はないとわかるものの、影響はかなり出ているとみていいだろう。この分だと地方はもっと治安が悪いのかもしれない。
 革命軍の連中と別行動にしてもらったのは詳しい事情を説明していないことはもちろんだが、とは一緒にいないほうがいい気がしたからだ。
 下船する前、ふと魔が差したように「一緒に来るか」などと口走ったのは思い返してみても失言だった。もともと海賊と革命軍。対立はしていないが、目的も目指す場所もが異なる。連れて行ってどうするというのだ、と我ながら己の発言を苦々しく思う。海賊の戦闘には慣れていないだろう彼女を船に乗せるのはリスクが高い上に、仲間も危険に晒す可能性だってある。
 だからそう、あれは魔が差したというのが正解であり、しばらくひとりで冷静になるために単独行動を選んだわけだ。
 王都を歩いていると気づくのは、ほかの町と温度差があることだった。
 国政が乱れている場合、そのほとんどは治安が悪くなってあちこちで内戦が起こり暴動と化す。特に政治に不満を持っている者たちはここぞとばかりに結託して行動を起こしがちだ。だが、この国はどういうわけか王都だけまるで普段と変わらないように人々の営みが行われている。とはいえ、アンバーに来たのは初めてであるのでどの程度が普段なのかははかりかねるが。
 二日間で得られた情報は三か月ほど前から見知らぬ集団が出入りしているということと決行日が近いということだ。半年前に司教が亡くなったことを理由に保守派と革新派で争いが起きているというが、革新派を唆している者たちがいることも関係しているだろう。
 その集団が例の残党であるならば、ローの賭けは成功したことになる。ドフラミンゴの弱点となる情報を奴らから得られる可能性が高くなり、武者震いすると同時に口角が上がった。
 早鐘を打つ胸を抑えて、ローは辺りを見回した。今日も同じようにして王都の朝は活動を始めている。
 視線をアンバー城のほうへ向けたとき、見知った人間がその仲間とうろうろしている姿を捉えた。声をかけることもないかと思ったが、引き返すより早く向こうがこちらに気づいて近寄ってきた。

「トラファルガーさん!」
「声がデカい、静かにしろ」

 性懲りもなく大声で人の名を呼ぶを手で制する。こいつは諜報活動していることを忘れてるのか? 文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、慌てて口を押さえ謝ったことに免じてこらえてやる。

「お前は相変わらず自覚が足りねェみたいだな」
「すみません、久々にお見かけしたのでつい」
「久々ってほど時間経ってねェだろうが」
「まあいいじゃないですか細かいことは」
「てめェ……」

 の態度に一度は拳を握ったものの、怒るのさえばかばかしくなり拳を収めたローはもう一人いたことを完全に忘れて会話していたことに気づき、体裁を整えようとした。だがそれも虚しく、女が口を開くほうが早かった。

「随分仲が良いんですね」

 人の好い笑みを浮かべてそう言った女は、しかし言葉とは裏腹に瞳の奥に鋭い何かを隠し持っているような気がして、ローはうすら寒さを感じた。