交わる運命(1)

 降りしきる雨の中、はエリスの少し後ろを歩いていた。
 レインコートを身にまとっているせいで、フードが邪魔してエリスの顔色はうかがえない。昨日の今日で何かが変わったわけではないが、それでもどこか距離を感じるような気がするのはどうしてだろう。話しかけたいのに、彼女のまとう空気がそれを許してくれない。の思い過ごしならそれでもいい。拭えない不安を抱えたままでいることが、の足を重くしていた。
 家々の屋根に設置された排気パイプから灰色の煙がもくもくと上昇し、悪天候のせいで薄暗い同じ色の空を厚塗りするかのように吐き出されている。
 資源が豊富であることは必ずしもプラスに働くとは限らない。誰もがはじめは国の経済に目をくらませ、それがどんな未来をもたらすかを考えず安易に手を出してしまう。大量に。そうして迎えた国や町の結末を、は最近聞いたばかりだ。彼、トラファルガー・ローから。
 アンバー王都は今日も変わりなく、人々が営みを始めていた。朝の仕入れから店内清掃といった準備に追われる人、着飾ってどこかへ出かける人、作業着で工場へ向かう人。こうした一般人の日常を守ることが、父が常に志していたもので、がその心を受け継ぎドラゴンたちとともに活動する道しるべだ。誰にも侵されることのない平和で自由な日常を。
 左右を建物に挟んだメインストリートを城に向かって進むと、ハイデンベルク教会が見えてくる。王都に来る前に立ち寄った町のレストランで聞いた司教グレインの死が混乱を招いているという話。実際、近くまで来てみればその様子が伝わってくる。立ち入り禁止の看板と、うろうろしている大柄の男たちは警備兵だろうか。鋭い視線を投げかけて周囲を警戒している。やはり城の周辺は内乱の関係で警備が手厚くなっているのだろう。
 教会を通り過ぎた先がアンバー城だ。国の象徴である双頭の鷲が描かれた旗が心許なく揺らめいている。アンバーの行く先が不透明な今、力強さと勇気を表す鷲が頼りなく見えるのは気のせいではないはずだ。
 城の近辺は警備の関係で調査がしにくいこともあり近づいてこなかったが、エリスがぐいぐい城のほうへ向かっていくのでは小走りで駆け寄って呼びかけた。
 足早に歩いていたエリスのレインコートが翻る。

「どうしてお城に行くの。関係ない、よね……?」

 伏せた目がゆっくりとを映して射抜くように見据える。いつもと変わらないはずのエリスが急に知らない人のように思えて怖くなる。しかしそれも刹那のこと、にこりと微笑んだ彼女がなに言ってるのとの腕を掴んで先へ進んでいこうとする。

「関係大有りだよ。だって狙われているのは国なんだから。私だったら中枢であるココを狙う」
「それはそうかもしれないけど、私たちで勝手に行くのは――ってちょっと待って!」

 の言葉を最後まで聞かずに再び歩き出したエリスは、城の入口から逸れて裏側のほうへ向かっていく。ほとんどの城には西側と東側にゲートハウスを設置していることが多いのだが、お忍びで城内の人間が出入りするせいか警備がほぼないに等しいのだ。
 先へ行くエリスに仕方なくついていくことにしたは、雨が降りしきるアンバー城を横目にサボやコアラへ胸中で謝罪を述べた。内部調査をするとはいったものの、どこまで踏み込むかは上司の指示を仰ぐ必要がある。もしここで警備の人間に見つかれば大騒ぎになって、調査に支障が出る可能性も出てくるのだ。そうなればせっかく掴んだ情報もすべて水の泡になってしまう。
 東側のゲートハウスへ難なく入っていくエリスの後ろ姿を見ながら、ふと妙な感覚がを襲った。意識の隅で何か別のことが一瞬よぎったのだが、考える間もなく砂のように消えてしまって結局わからなかった。気のせいだと思い直して、勝手知ったる場所であるかのように迷うことなく城内に潜っていくエリスに意識を戻す。
 どうしてこんなに簡単に入れてしまうのか、どうしてエリスがそれを知っているのか。嫌な想像ばかりが先行しては首を横に振った。

「やめた……」

 気が滅入りそうになったので無理やり思考を断ち切った。が一人で悩んでも解決しないし状況は変わらない。ここはやっぱり本人に直接確かめて本当のことを……。
 ゲートハウスを越えると城下の庭が広がり、さらにその先に建物内へ続く複数の扉が見えてくる。城の構成というものがにはあまりわかっていないが、どうやらいくつかの建物が合わさって一つの城を築いているようだった。客人や要人を招き入れる部屋と王族の寝室など居住スペースがある場所は分かれているのかもしれない。
 エリスがそのうちの一つに堂々と手をかけて入っていくのを見て、さすがに止めなければこれ以上の調査は危険だと悟る。

「待ってエリスちゃん! これ以上はやっぱりやめたほうがいいと思う。いくら城内が怪しいとしても、総長たちに相談もしないで乗り込むのはよくないよ」
「どうしてそう思うの?」

 まさか質問で返されるとは思っていなくて、とっさに切り返す言葉を紡げずにはなんの迷いもない相手の瞳を戸惑い気味に見つめかえした。

「どうしてって……これは任務外に入ると思うから――」
「誰が決めたの? はサボさんに認められたくてここまで来たんでしょう? だったら成果を出す必要があると思うけど」
「……」

 エリスの言い方は随分と高圧的で、ともすれば嫌味に受け取れてしまうような口調だった。普段はこんな物言いをしないはずが、今はに対してどこか横柄で敵意すら感じる。それに彼女はと違って上司の命に背くことなく、いつだって任務に忠実で最優先事項を考えられる冷静さを持っているから、こんなふうに自分の利益のために軍の意にそぐわない行動を起こすことは今までなかった。
 それが急にどうしたというのだろう。状況をのみ込めずの頭は混乱するばかりだった。
 確かにアンバーのクーデター阻止には貢献したいと思うし、上司への不満が多少なりともあって調査員としてきちんと認めてもらいたいという気持ちがないといったら嘘になる。しかしあくまで革命軍の利益が優先されるのであって、そこに私益が含まれてしまったらそれはもう軍の意向から外れてしまう。先日のの行動は、それがいかに愚かであるかを証明した。だからこそ、今回はサボの指示に従ってその中でいかにうまく立ち回れるかを示していく。これがに課せられた任務だと疑わなかった。
 仮にエリスの言う通り、城内にクーデターを仕掛けるとしてもし現場に居合わせたら二人だけでどうするつもりなのだろうか。サボは後から応援も呼んでいると言っていたが、すぐに間に合うとも限らない。こちらが変に煽って彼らにクーデターを起こさせてしまっては本末転倒だ。
 こんなこと、エリスが気づかないはずがない。ならどうして……。

は本当に何も知らないんだね」

 次から次へとわいてくる疑問に半ばパニック状態になりかけていたを無視して、エリスが突き放すように続けた。自分の知らない彼女を見ているようで目線を合わせることができない。雨のせいか、寒気が押し寄せるようにの体を襲った。ふと自分の手を見ると、微かに震えている。寒さからか、恐怖からか。そのどちらもかもしれない。これまで共に肩を並べて任務をこなしてきた人間が急にわからなくなった。
 それに、エリスの言っていることもよくわからなかった。知らないって、私が何を知らないというのだろう。
 立ち止まって動けないでいるに、しかしエリスは笑顔で「大丈夫、私についてきて」と手を引いて城内へ連れて行こうとする。いよいよ制止する言葉を紡ぐことができないまま、は城の中に足を踏み入れてしまった。
 外はいまだに雨が降り続けている。遠くで教会の鐘の音が聞こえた気がした。