交わる運命(2)

 アンバー城は本当に人が住んでいるのかどうかも怪しいほど静けさに満ちていた。見張りの兵や侍従たちの姿も見えない。一体どういうことだろうか。居館は異なるとしてもまだ午前中である。公務があってしかるべき時間帯だ。どこに何をする部屋があるのか定かではないが、国内の政治を進める会議といったあらゆる仕事が彼らにはあるはずで、それが行われるのはこの城の中枢となっている宮廷だ。しかし、今はもぬけの殻とでもいうのか人の気配を感じられなかった。
 螺旋階段を昇っていくエリスの左手はの右手を握ったままだった。どこまで上がるのか、後戻りできないところまで来てしまったことに今さらながら後悔の念がを襲った。
 もともと来るはずのなかった自分のミスでサボたちに迷惑をかけたというのに、勝手に城内に侵入したとなれば幻滅どころの話ではないだろう。叱責は覚悟しているが、下手したら二度と任務を任せてもらえないなんてこともあるかしれない。そう思ったら急に怖くなった。
 ――私、何してるんだろう。せっかくあの日の過ちを取り戻そうとしたのに。ばかみたいだ。
 が考えている間に、気づけば二人は最上階に立っていた。相変わらず誰の気配もないまま、異様な静けさだけが辺りを包んでいる。
 開けた廊下に降り立って、見たことない絵画や甲冑といった豪奢な品物が並ぶのを視界の左右に入れたとき、ずきりと頭に痛みが走った。は足を止めて頭を押さえた。

「どうしたの」ついてこないを不思議そうに振り返ったエリスが首を傾げる。
「ううん。ちょっと頭が痛くて……」

 こめかみを軽く揉んで、は再び歩き出す。
 天候によって体調に変化が表れるという人間もいるが、は特別影響があるほうではなかったので気にしたことがない。そもそもこの頭痛が天候のせいだと思えなかった。雨は朝起きてからずっと降り続いているし、今になって症状が出るのはあまりにも遅すぎる。
 原因のわからない痛みは歩みを進めるごとに強くなっている気がして、とうとうは廊下の途中でうずくまってしまった。頭痛のほかに吐き気もする。今は誰もいないとはいえ、いつ警備兵や侍従たちが来るとも限らないこの場所にとどまるのは良い選択とは言い難かった。
 は「戻ろう」とエリスに伝えるため顔を上げた。しかしが口を開くより先に、「ねえ」満面の笑みでを見下ろしているエリスがしゃがんで続けた。

「この景色に見覚えない?」

 瞬間、ぐにゃりとエリスの笑顔が歪んだ気がした。


*


 王都にあるハイデンベルク教会は国を代表する宗教を司る機関だ。国民の八割以上が信仰する教会の司教・グレインはその人柄から多くの国民に慕われているという。そんな彼が突然亡くなったという訃報を聞いて国中が大騒ぎになったらしいが、一応国王が騒ぎを鎮めたことでその場は治まったのだそうだ。
 しかし司教が亡くなったことで一番混乱を深めたのは教会内部だった。司祭たちの中には反司教――つまり反政府の意志を持っている者が半数いたのだ。ただ、司教と王族の目があったために反旗を翻すことはなかっただけで、胸の内に秘めている野心はずっと心の奥底に燻り続けていたのだろう。司教不在の今がチャンスと狙って、自分たちこそ為政者としてふさわしいと主張しているという。
 サボとコアラがハイデンベルク教会に来たとき、保守派の司祭たちが朝の礼拝が終わったところだった。立ち入り禁止の看板が立てかけてあったが、日常的な礼拝は行っているのだろうか、教会を後にする信者たちとすれ違った。
 見送りを終えて戻ってきた彼らに事情を説明すると、司祭の一人が内情を話してくれた。

「我々はグレイン司教の意志を継ぐ者の集まりです。そしてアンバー王国の安寧のために王へ協力する義務がある。だからこそ、革新派の考えには賛同できません」
「革新派の考えっていうのは?」
「武力で他国と渡り合おうとしていることです。革命軍のあなた方ならご存じでしょうが、この国にはそれを可能にするだけの力があります」

 司祭の悲痛な面持ちから何を言いたいのかすぐに理解した。
 アンバー海域で採掘される未知の鉱物の存在である。やはりというべきか、それが国の明暗を左右する。サボも詳しいことは知らないが、高エネルギーを放出できると噂で聞いたことがある。武器として利用すれば一気に軍事力は増すし、他国への牽制にもなるだろう。
 しかし、彼らはその先まで未来が見えていなかった。武器を持つということは、戦争をする意思があると捉えられて他国の侵入を許す上に、海賊や盗賊といった無法者から狙われやすくもなる。特にそのような特殊な事情を持っているとなると、邪な考えを持つ海賊が現れてもおかしくない。ドフラミンゴがいい例だ。

「元々あの鉱物は国の発展のために利用されているもので、人を傷つけるような使い方はしないというのが王の意志です。それを司教が亡くなったのをいいことに好き勝手主張し始めて、最近では夜な夜などこかに出かけて見知らぬ者と何やら話していると聞きました」

 サボとコアラは顔を見合わせた。こちらが得た情報と同じで、土地の人間以外が彼らを唆していることが濃厚になった。そもそも教会の人間がクーデターを起こすほど武力に自信があるとは思えない。どこか外部の力が加わらない限り、国を相手にするには無謀な考えだ。
 王都から離れた田舎ではすでに暴動が起き始めているし、これでさらにクーデターが起これば王政は今度こそ崩壊して敵の思うつぼ。国民の中にだって、王政に不満がある者もいるだろう。革新派に味方する可能性がないとは言い切れない。そうなってしまえば、国内で大規模な戦争になるのは目に見えていた。
 司祭たちが何より恐れているのがそれだ。国民同士の争いが国内のあちこちで起きれば、他国に隙を作ることになり、後々攻められることにもつながる。収拾がつかない事態になったら最後、国が崩壊してしまう。

「革新派が接触しているのは、十年前のクーデターを起こしたアレス率いる集団の残党の可能性が高い」
「えっ、それは本当ですか!?」
「おれ達の仲間が酒場で聞いてきた情報だ。間違いないないとみていいだろうな」
「そんな……急に言われても対応できません。王になんて伝えたらいいのか」
「それは少し待ったほうがいい。変にこちらが動けば敵に悟られるし、今伝えれば国がパニックになる」

 革命軍が来たのは未然に防ぐためだ。応援も呼んでいるし、早ければ明日か明後日には到着するはずである。奴らがどういう計画を立てていて、どの程度仲間を収集しているかにもよるが、規模でいえば革命軍が勝てない相手ではない。

「では今まで通りの生活を送るということですか」
「不安だろうがもう少し辛抱してほしい。できるだけこっちも――」
「サボ君!」

 司祭との会話を遮ったコアラが焦った口調でサボの肩を掴んだ。突然のことで「うわっ、なんだよ」隣にいた彼女に抗議した。しかし青白い顔をしたままその先を口にしないので、どうしたのかともう一度促す。何かを言いたそうにしているのに、躊躇っているようだった。

たちが持つ電伝虫からさっき連絡が入ったんだけど様子が変なの」
「……どういうことだ」
「応答がないんだ。でもずっと通信は続いてて、ときおり人の声のような音は聞こえるんだよね。これって二人に何かあったのかな」
「考えてもわからねェ。とりあえずあいつらを探そう」そう言ったサボの言葉に、コアラは渋い表情を作った。
「それが……アンバー城の中にいるみたいなの」


*


「どういうこと……?」
「そのままの意味だよ。ここを知ってるはずなんだから

 意味がわからないから聞き返したのに、エリスはそのままだと言うだけで核心に触れてくれなかった。知ってるはずと言われてもには覚えがないので頷きようがない。
 ズキズキと痛む頭の隅で、意識をアンバー城の景色に向ける。扉は閉まったままだが、装飾品から考えると客間のように思えた。広さもそれなりにありそうだし、城内には多くのもてなす場があってもおかしくない。とはいえ、やはりには見覚えがなかった。

「ごめん、やっぱり私はわからないよ。そもそもアンバーに来たのだって初めてだよ」
「じゃあなんで頭痛がすると思うの? は十年より前の記憶が所々抜けてるって言ってたよね、少しも可能性を考えなかった? 自分が十年前の事件に関わってるかもって」
「ちょ、ちょっと待って……どういう、こと……」

 エリスの言葉をかみ砕くのに数秒の時間を要した。聞き間違いでなければ、彼女は今こう言ったはずだ。
 "自分が十年前の事件に関わってる"
 十年前のアンバーのことはも知っていた。ちょうどが風邪をこじらせて一か月ほど寝込んでいた時期にあったらしいクーデター未遂事件だと聞いている。とは言っても、そういう事件があったという事実しか知らないが。
 が関わっているというエリスの発言は、だからおかしい。その頃、バルティゴの自身の部屋で熱を出して寝込んでいたことになっている。というのも、その一か月を境にの記憶はおぼろげなのである。一か月もの間寝込んでいたという話を、サボを含めた周りの仲間から聞いたが、あまり詳しく教えてもらえなかったというかうまく流された。
 記憶が抜け落ちている理由は今もわからないままだが、でも――それが何か大きな事故があったせいだとしたら? 自分で都合の良いように忘れているだけだとしたら? サボたちがはぐらかす理由になるではないだろうか。私からアンバーを遠ざける理由も本当は……。

「頭が痛いのは記憶が戻りかけている証拠。は知りたくないの? 欠けている記憶の中で本当は何が起きたのか」

 悪魔の囁きのようにも思えたそれは、の耳に音の波がしっかり伝わっていた。
 真実の扉を開くときが来たのだと思った。脳内でちらつくカラーの映像と砂嵐が混ざり合って、ぼんやりと小さな影が見える。そこにいるのははたして誰なのだろう。
 の肩に手をかけて、エリスが優しく微笑む。

「ねえ、もう一度見てみてよ。ここは私とが初めて会った場所なんだから」