交わる運命(4)

「なんでアンバー城にいるんだあいつら」

 教会を出てすぐ目の前にそびえ立つ城を睨みつけたサボは、ほとほと呆れてため息をこぼした。
 正面は警備が厳戒なのできっと左右どちらかに回って侵入したのだろうが、そんなことをしていいと言った覚えはないし、二人が勝手な行動を取るのも腑に落ちない。は確かに命令に背くことはあっても、自身で勝機のあるなしを判断できるだけの能力がある。エリスに至っては考えるまでもない。
 だから二人してアンバー城へ行くなんてことは、緊急事態が起きたとしか考えられなかった。加えてサボを不安にさせるのがコアラの持つ電伝虫が繋がったまま応答がないことだ。二人の現在地を示す信号だけが送られてくるだけで、向こうの音は相変わらず雑音と遠くから聞こえる誰かの声。一体どうなっているのだろう。
 苛々しながら歩いていると、コアラが窘めるように「少し落ち着いたらどうですか」とやっぱり呆れている表情で言った。

「おれは落ち着いてる」

 やけになって言い返したはいいものの、実質心の内はざわざわとしていて穏やかではなかった。おまけにコアラには通用しない見栄であることが一番かっこ悪い。意味のない言葉だったが、あえてコアラは何も言わずにそうですかと短く呟いただけだった。

「それよりどうやってたちを? 中にいることは間違いないけど、この警備態勢でどうやって入ったんだか」
「いや、これは正面だけだ。東西のゲートは警備が手薄になってるからきっとそこから侵入したんだろ。ったく、見つけたら説教してやる」

 このとき、サボもコアラも部下の置かれている状況を的確に把握していなかった。本当は彼女たちが説教なんて言葉で片づけられるほどの優しい状況にいないことを。ただ、がどんな思いで城に足を踏み入れたのか、それだけがぐるぐると駆け巡る。今日の朝までは特に様子がおかしいところはなかったが、アンバー城は十年前の中枢部でもある。
 二人を一緒に行動させたことに少し後悔し始めたサボは何事もないことを祈って城の東側へ向かった。

*

 父のことを言われて気が動転してしまったは気づけばエリスの胸倉を掴んでいた。と違って彼女は冷静で、嘲笑を浮かべているから余計に憎たらしく思える。さっきまで一緒に調査していたことが嘘のように感じられた。
 勢いが過ぎたのか、電伝虫が懐から落ちて床に転がっているのが見える。その衝撃で受話器がはずれてくれれば、コアラの元へ通信が繋がっているかもしれない。そうすれば自然と状況がサボたちに伝わる。逆を言えばアンバー城にいることがバレてしまうわけだが。
 水はけの良いレインコートから水滴が滴り落ちる。お互いコートが体を守ってくれたおかげで中の服は濡れていない。しかしは恐怖と怒りと興奮とが混ざった複雑な気持ちを抱いているからか、体の芯から冷えていくのを感じていた。エリスに指摘されたことが頭から離れない。

、あんたは父親を殺したのよ。そして都合よく事件のことを忘れようとした。ひどい娘だと思わない?」

 エリスは首を傾げてかわいらしくに問う。まるで言葉のナイフを食らっているかのように、の心に次々穴が開いていく気がした。エリスの言葉を反芻しながら首を振って「違う」ともう一人の自分を否定する。言い聞かせなければ立っていられなかった。だって認めてしまったら、もう革命軍として戦えない気がしたから――


 父がまだ生きていた頃、サボと一緒に訓練していたときに言われた言葉が今も心に残っている。
 子どもながらすでに革命軍の一員としてめきめきと力をつけていたサボに引け目を感じつつ、けれど純粋にすごいとも思っていた。魚人空手を習ってもあまり上達しないと比べたら大違いだ。だからといって訓練をさぼることはなく、ただ不機嫌な顔を作って練習していたからだろう。少し離れた場所で見ていた父がの近くまでやってきて、どうして怒ってるのかと尋ねてきた。

「……どうして私はサボくんよりうまくできないの?」

 それは純粋な疑問だった。一応サボより先に訓練を受けているはずのが、サボより習得速度が遅いのは誰が見ても明らかでにはそれが少し不満だったのだ。いくら三つ上とはいえ、こんなにも差が出てしまうのは自分の何がいけないのか。ただ練習しているだけでは改善されない気がした。
 そんなふうに愚痴をこぼす娘を、父のウォルトは柔らかい笑みで見つめて頭を撫でる。いつもなら嬉しいはずの行為も、今は子ども扱いされているようで思わずそっぽを向いてしまった。

、誰にでも得意不得意があることを忘れてはいけないよ。サボはどうやら元から戦闘に慣れているみたいだからよりも多少強い。でもには小さいことを活かして身軽に行動できるという利点があるだろ」
「とくい、ふとくい……?」
「ああ。それぞれ得意なところを磨いていけばいいんだ。できなくても不貞腐れるなよ、お前にはお前の良いところがある」

 ウォルトはもう一度の頭を撫でた。今度は嫌がらずに父の手の温かさをしっかり受け入れた。その日からはサボに対して引け目を感じずに、自分のできることを頑張るようになる。
 誰にでも得意不得意がある。戦闘が苦手だったにとってまさに魔法の言葉であり、改めて父の偉大さを感じ取った出来事として思い出に残っている。


 十年前の事件の記憶がよみがえったことで、父との細かい思い出も一緒に再生された。それはが革命軍として、父の背中をしっかり追いかけようと誓った瞬間だ。自分にしかできないことを磨いて強くなればいいと、そう言ってくれた父に応えたいと思った。
 そうした矢先にアンバークーデター未遂事件が起こる。が不用意な行動を起こしたせいで革命軍の計画が狂い、出さなくてもいい犠牲を生んでしまった。
 ――お父さん、ごめんなさい。せっかくの作戦をダメにしてしまって。今まで忘れててごめんなさい。

「わ、たしは……」
「サボさんたちがいくらに事件のことを思い出させないようにしたって、そんなの私が許さない。あんたは私と同じ痛みを味わうべきよ!」

 エリスのレインコートを掴んでいたは逆に掴み返され、その反動でバランスを崩してしまう。床に倒れこんだの上に馬乗りになったエリスの瞳が充血していた。今までと知らない彼女の姿に恐怖を覚えるのに、どうしてかされるがままになってはじっと彼女の瞳を見つめた。
 記憶を失っていたせいで、知らないうちにエリスを傷つけていたこともサボたちに守られていたことも、何も知らずに生きていたなんて。それなのに、我儘を言って上司を困らせたり、できもしないことをできると豪語したり、振り返ってみれば自分の行動がいかに愚かだったかを思い知らされる。たとえ記憶がなかったのだとしても。
 襟元を掴むエリスの手の力は緩まるどころか段々と強くなっていく。床に叩きつけながら何度もどうしてとうわ言のように呟いている。彼女の怒りや苦しみが伝わってくる。しかし次第に腕が首のほうへ伸びていき、気道が締まっていく感覚に息が詰まった。

「……ぐっ、」
「こうなったらもう革命軍にはいられない。、あんたを殺して私も死ぬ」
「やめっ……」
「仕方ないのよ、だってこうするしか道はないんだもの。でも安心して、痛みが一瞬で済むようにこれで殺してあげる」

 首から手が離れたかと思うと、エリスは懐からナイフを取り出して刃をこちらに向けた。息ができなかったせいで涙目のまま、鋭いナイフの刃を捉えては声にならないひゅうと吐息をもらした。

「恨むなら自分の運命を恨むことね、ウォルトの娘として生まれたことを」

 言って、振り落とされたナイフがの眼前に迫る――刹那、は自由に動かせる左手の甲をナイフへ向けた。勢いよく血しぶきが四方に広がる。驚愕したエリスの隙をついたは、力を振り絞って巴投げの要領で相手を頭越しに放り出した。エリスの体が空中に投げ出され、ドンという大きな音が床を鳴らした。
 すぐさま立ち上がりエリスの元へ駆け寄り身柄を拘束する。上下の立場が逆転し、今度はが馬乗りになってエリスを見下ろす。手の甲に刺さったままのナイフを勢いよく抜いて遠くへ放る。抜いた箇所から血が留まることなく流れる。しかし構わずエリスに「もうやめて」と懇願した。

「お人好しもここまでくると救いようのないバカね、私がナイフを一つしか持ってないなんて誰が言ったの?」
「え……」

 レインコートのポケットから新たにナイフを取り出したエリスはの腹を目がけて切っ先を振りかざした。その瞬間だけ、スローモーションの映画を観ているような感覚に陥った。刃が右の腹に垂直に刺さったのを最後に、の意識はぱたりと途切れる。
 総長、私また迷惑をかけるかもしれません。ごめんなさい。