兄と妹、上司と部下、その次は…(2)

 二人の関係性に変化があったことに、コアラはその日の夜すぐに気づいた。
 それは夕食でのこと。合流したハック達も含めて久しぶりの大勢での食事に期待を膨らませていたときだった。
 とともに準備をして(病み上がりだから無理しないでと最初は断ったのだが、少しは動かないと鈍るという理由で結局忙しなく働いていた)キッチンから大皿をいくつもダイニングテーブルへ運び終わる頃には、席は自然と一番端になった。同じく準備していたも歩き回っていたから当然隅っこに座るのかと思えば、きょろきょろと空いている席を探している最中突然彼女の体が傾いた。そうしてよろけた先にいたのはサボである。コアラから少し離れた中央より手前側、斜め向かいの席――偶然空いていたサボの隣には腰を下ろした。
 ハックやほかの仲間たちも一瞬動きを止めてそこに視線を向けたが、すぐに見なかったふりをして何事もなかったかのように食事の時間が始まる。コアラも皆に倣ってひとまず目の前の料理に手をつけることにした。
 しかし、違和感はこれだけで終わらなかった。というより確信に変わってしまった。
 食事も終わりに近い、デザートを食している頃合いである。ホイップクリームを使ったデザートコーヒーなるものを飲んで、それぞれ話に花を咲かせていた。ココアクッキーを砕いて粉末状にしたものがアクセントになってこれが結構美味しい。
 コアラも周りと同じように話しつつ、コーヒーを飲んで食休みしていた。だから、会話が途切れて何とはなしに視線をへ向けたのは特に意味があったわけではない。
 サボが左側に座る部下と話している間、はひとりゆっくりとデザートコーヒーを飲んでいたのだが、たっぷりクリームが入っているせいで唇から少し逸れた場所にそれをくっつけたまま気づかずにいた。子どもみたいで可愛いが、言わないでいるのも可哀想だろう。周りは話に夢中になって気づいていないようだし、コアラが教えてあげるしかない。そう思って「」と呼びかけた声は、しかし彼女の隣に座る彼によって遮られた。

、お前クリームつけてる。ったく、子どもみてェだな」

 のことなんか気にしていない様子だったはずのサボが、どういうわけか彼女の唇の端についたクリームを慣れた手つきで拭った。サボがこれまで公衆の面前で、本人でさえわかるような行動はとったことがなかった。コアラ達にはわかりやすく映っても、には絶対に気づかれないようにしていたはずの彼が。
 それだけでも異常な事態だったのに、彼のあの表情はどういうことだろう。あれは部下に対する参謀総長でも、妹に対する兄でもない。随分と慈愛に満ちた優しい顔をしていた。本人が気づいているのか定かではないけれど。
 スマートに行動したサボに代わって、はぽかんとしたまま数秒固まって動けずにいた。ハッとして我に返った彼女が「……あ、」と呟いて俯く。
 すみません。と続けたのだろうが、あまりにも消え入りそうな声だったのでコアラにまでは届かなった。代わりに恥ずかしさを主張するように耳を赤くしているのがわかる。
 ――これは……もしかしなくても、そういうこと?


*


「なんで教えてくれなかったの?」

 鬼気迫る表情でコアラが言った。テーブルをはさんでいるため多少の距離はあるものの、どうやら怒っているらしいことがわかる。
 今夜話したいことがあると言われて承諾したのが夕食後のこと。そこからシャワーや就寝準備をしている最中、コアラがの部屋を訪ねてきた。医務室からやっと自室に戻れたのも束の間、今度は尋問のごとく椅子に座らされてむすっとしたコアラの前では肩をすくめた。

「……えっと、何のこと?」
「とぼけないでよ〜やっとサボ君の恋人になったんでしょ?」
「……」

 目をぱちくり瞬きすること数秒。コアラの言葉を頭の中で反芻させて考える。
 ――私と総長が恋人……? まって、どうしてそんなことに……あ。
 思い当たる節が一つだけあることに気づいたは、急に顔に熱が集まるのを感じて机に突っ伏した。そうだった、さっき総長があんなこと――
 は誤解しているコアラに全力で否定する。

「ち、違うよ! あれは、私があまりにも子どもっぽいから総長が仕方なく面倒見たって感じで……」
「そんな言い訳通じると思ってるのー? あれはどう見ても恋人が取る行動じゃない」
「それは確かにびっくりしたけどっ……でも本当に、恋人同士じゃないから! そんなこと言われてないし、私も"好き"とは伝えてないし」
「……サボ君も何も言ってないの?」

 怪訝な顔をしたコアラが身を乗り出して聞いてくるので、若干身構えるような姿勢を取りつつはゆっくり頷いた。その答えに彼女があからさまにがっかりした表情で深いため息をつく。どうして彼女がそこまで気にするのか、と不思議に思ってはたと気づく。
 調査中のときに、ふとコアラから「サボ君とエリスちゃんが恋人になったらどう?」と聞かれたことを思い出した。あのときのはすぐに答えられなかったが、今ならはっきり「嫌だ」と答えられる。彼女はあの時点でよりもの気持ちを理解していたのだ。
 確かにはサボのことを参謀総長でも兄でもない、恋愛としての意味で「好き」なのだと自覚した。しかし、それ以上に大事にしたいのはサボとともに戦って参謀総長としての彼を支えることだ。

「コアラちゃん。私、別に総長と恋人になることは望んでないよ。あ、いやそれは違うか……いつかなれたらいいなとは思うけど、今はただあの人のそばで戦って役に立ちたいのが一番なんだ。だからとりあえずはこのままでいいかなーって」
「……もお、なんでそんな物分かり良くなっちゃうのー! もっと我儘言ったっていいのに」

 頬を膨らませたコアラが気遣ってそんなことを言ってくれるものだからは嬉しくなって頬を緩ませた。彼女には本当いつも救われているなと思う。年上のお姉さんという感覚が抜けないのは、彼女のこうした面倒見がいい性格もあるだろう。ついつい頼ってしまうし、悩みを打ち明けてしまいやすい。だからこそ、迷惑をかけたくないという思いもまたある。
 それに今言ったことは何も建前とかではなく正真正銘の本音だった。まずは革命軍としての使命を全うしたいし、そのためにサボのそばで戦いたいし支えたい。力不足かもしれないけど、できる限りの力でそうなれたらと思っている。

「ありがとう。でもいいんだ今は」
「そんなこと言っててほかの誰かに取られたらどうするの?」
「そ、それは……悲しいし辛いけど、受け入れるしかない、かな」言ってから想像してみては途方に暮れた。想像するだけで辛いのに、現実でそうなったらただの辛い悲しいでは済まないかもしれない。でもの存在理由は革命軍としての自分だから、そこだけは曲げたくなかった。

「嘘だよ。ごめん意地悪言ったね。サボ君がほかの女の子なんて万が一どころか億万一ないから安心していいよ」
「……随分自信のある言い方だね」

 コアラはまるで知っているような口ぶりだ。サボとそういう話をしたことでもあるのだろうか。たびたび任務に同行できないことのあったは、そういえば自分のいないところで彼らがどんな会話をしているのか知らない。今さら気になるのもおかしな話だが、心境の変化があったいまは気になって仕方ない。サボは自分のことをなんて言ってるのだろう。

「サボ君を見てれば一目瞭然だもん。少なくとも私がこのチームに来てから一貫してるよ」

 柔らかい笑みを浮かべてコアラが言うので、もぎこちなく笑みを返した。心配されている自覚はあるが、そこにどんな意味が込められているのかわかりようもなかった。
 サボだって明確に気持ちを口にしていないし、でもだから今はこれでいいのだろう。あの夕食での出来事は、もう頭の中から消えていた。