わが愛を、喰らえ
バルティゴに帰還してからもの態度に不満があったサボはどこか上の空で仕事していた。
到着してすぐはドラゴンへの報告だとか、アンバーに関する情報を書面におこしたりだとか他のことを考える余裕がなかったのだが、ある程度片付いて心にゆとりが出てくるとどうしたっての顔がちらついた。別に何かを期待していたわけではないのに、あからさまに避けられているのがわかると不満にもなる。
だから執務室で走らせていたペンが無駄に机を叩いていることをコアラに指摘されて、初めてそこで自分が苛々しているのだと気づいた。
「不満があるなら本人に言えばいいんじゃないですか」
向かいで作業していたコアラが刺々しい言い方をした。の態度も気になるが、そういえばコアラもどこかサボに対して棘があって身に覚えがない分落ち着かない。確かに彼女には迷惑をかけている部分が少しあるものの、こうした態度を向けられる理由がわからない。
「なんだよ。随分な言い方だな」
「……」
作業していた手がピタリと止まり、ずっと書類に向いていた視線がようやくサボに向けられる。頬を膨らませ不満たらたらな顔をする彼女がはあ、と大きな息を吐いたかと思えばおもむろに椅子から立ち上がってこちらに近づいてきた。
時刻はもう夜の十一時を回っている。アンバーでの任務が終わったばかりだというのにゆっくりする暇もなく次の案件は舞い込んでくるし、準備をしなければいけない。
エリスの件だって、完全に解決したわけではなかった。今後彼女が革命軍に何かを仕掛けてくる可能性はゼロではない。の話を聞く限りでは、ドフラミンゴとは無関係に自分が単独で外部の野盗たちを雇い、アンバー王国の揉め事を利用して小さな内紛をいくつも起こしていたというが。それをこちらにあえて気づかせて、をあの国へ仕向けたんだとしたらとんだ策士だ。
そもそも一切気づかれずに約十年もスパイとして生活してたとは――いや、実際彼女が行動に移したのは今回の件だけに限る。最終的には個人的にに対して思うところがあって暴走したと、被害を受けた本人が言っているから今はそれを信じるほかない。
いろんなことが重なって、それでもがここにいることを望んだからサボもそれに応える形で告げたというのに。あいつの態度は一体どういうつもりなんだ。
「"守る"だけなんて全然そんなこと思ってないくせに、なんできちんと言わなかったの?」
コアラの鋭い視線が突き刺さる。
ああ、なんだそういうことか。彼女の言いたいことを理解して、けれど同時に疑問も生まれる。
がおれの役に立ちたいと言ったとき、もうそれだけで十分だと思ったのはほんの一瞬だけで。彼女がほかの誰かの元へ行ってしまう未来など到底耐えられるわけがない。でも、だからこそあの言葉はサボなりの気持ちの表現でもあったのだ。
「まさか……あいつわかってないのか?」
「恋人になってくれとは言われてないし、自分も言ってないからって。このままうやむやにしたらまた機会逃すと思うよ。伝えられるときに伝えないと後悔するっていうのはサボ君が一番わかってるんじゃない?」
その言葉に何も言えなくなった。コアラの言ってることは正しい。大切な人間を喪ったことのある人間なら誰だって思う。言葉は口にしなければ意味がない。思ってるだけでもダメで、行動で示すだけでもダメ。もっともな意見だし、きっとその通りなのだろう。
しかし、サボは目を覆って唸り声をあげた。
「けど、それにしたって鈍すぎるだろ……おれは好きでもねェ女にあんなことしねェ」
「そんなことわかってるよ。だからこそ伝えてあげてって言ってるの。まだ起きてるだろうから行って来たら?」
言われて少し悩んだものの、結局急いですべての書類を片づけて引き上げることにした。悩んでても仕方ないし、悩んだところで解決するものでもない。コアラの言う通り、どうやらは子どもの面倒を見るのと同じで妹に対する行動だと思っているらしかった。
間違ってはいないが、間違っている。確かに妹みたいで可愛いと思っていた時期もあったし、なんだかんだと言いつつ世話を焼いてきたのも事実。実際あれは兄が妹に対して取る行動としておかしくはないが、お互い成長しているわけだし、もう兄妹なんて感情はどこにもない。それは向こうだって同じはずだ。彼女がそれをわかっていないというならわからせるまで。
「行ってくる」
扉が閉まる直前に聞こえた、「いってらっしゃい」というコアラの言葉が一層背中を強く押してくれた。
*
日付が変わる寸前、すでに床についていたは扉を叩く音を拾って仕方なく起き上がった。上着を羽織ってから「はい」と応答すると、なんとサボだという。慌てて扉を開けてどうしたのか問えば、話がしたいと言われたので一瞬迷った末に結局彼を中へ入れた。
とりあえずお茶を淹れようと戸棚へ向かったが、サボにすぐ終わるからいいと言われたので言う通りにする。テーブルを挟んで互いに椅子に座ること数分。話があると言った割に、サボは黙ったままどこかを見つめているだけで一向に口を開かなかった。
沈黙が気まずいというよりは、夕食時のやり取りがふとした瞬間に思い出されてしまうから何か喋っていないと困ると言うほうが正しい。
コアラにはあんなこと言ってしまったが、実際のところかなり戸惑っていた。最近までサボと言い争いばかりしていたというのに、いきなりあんな――唇の淵に触れる。まだ少し、感触が残っている気がして頬が熱くなる。どうしたらいいのかわからなかった。だって、サボは確かに守ると言ってくれたが、別に恋人になろうとは言ってないのだ。勝手に舞い上がるわけにもいかず、気持ちの置き所が見つからずにふらふら彷徨っているみたいだった。
そもそもサボの話って一体何なのだろう。こんなに夜遅く彼が訪ねてくるなんて、明日ではダメな内容なのだろうか。
「総長。それで、話っていうのはなんでしょうか」
「ああうん、そうだな。もう遅ェしなるべく早く済ませよう」
「……」
視線が定まらず、妙に落ち着きのない態度だった。珍しい。本当に一体どうしたのだろう。余程言いづらいことなのか、もしかしてやっぱり革命軍を辞めろとでも言われるのかと思わず身構える。サボの深刻そうな表情を見ると、どうしても嫌な想像ばかりしてしまうから。
しかし待ち時間の終わりは唐突にやってくる。サボの手が、突然テーブルに置かれたの右手を握ってきたからだ。
「」
「はい」
「……おれは、お前が大事でこれからもそばにいてほしいって思ってる」
「っ……は、い」
こんなふうに話すのは、二週間前が目覚めてから今後について打ち明けた日以来だ。あの日の彼も、どこか意を決したような顔でと向き合っていた。もしかしたら今、その延長線上にいるのかもしれない。「守る」と言ってくれた彼が、今度はどんな言葉を紡いでくれるのだろう。
今の発言から辞める話ではないことがわかったものの、だからといって要領を得ない感じは残ったままだ。そばにいてほしいという言葉にの心臓は不覚にも高鳴ったが、それを言うためだけなら今日じゃなくてもいいはずで、だからやっぱり違和感を拭えなかった。
「大体なあ。なんであれで伝わってねェんだ」
髪をぐしゃぐしゃと掻き毟る仕草を見せたサボが恨めしげにのことを見つめてきた。緊張感のあった空気が一変し、呆れたような顔をして「鈍すぎんだろ」とか「おれなりに精いっぱい伝えたつもりだったのに」とかぶつぶつ独り言を呟いている。
「あのお、総長……?」
「それ、やめろよ」
「それ?」
「だから呼び方。昔みたいに名前で呼んでくれ」
ちょっと拗ねたように唇を尖らせたサボはまるで子どもみたいだった。かわいいな、なんて思ったりしての心臓がとくんと跳ねる。彼に対してこんな感情を抱くことなどないと思っていたけれど、”好き”という感情から派生する気持ちはまだが経験したことないものばかりだった。夕食のときだって、以前なら気にしなったかもしれないのに、意識した途端戸惑ってどう対応するのが正解なのかわからなかった。
こうして夜遅くにわざわざサボが伝えに来てくれたのは、に気持ちが伝わっていないのではないかとどうやら彼が勘違いしているかららしい。というのは理解したものの、けれどは急がなくていいとも思う。そばにいてほしいと彼が言ってくれたから、はここにいてサボの隣で生きていくことを許されたのだ。だから、関係の変化は少しずつでもいいのではないかと。
自惚れでなければ、サボもまたと同じ気持ちでいてくれている。
「……サボ、くん?」
「うん」満足そうに笑うサボに、やっぱり胸がぎゅっとなってしまうのはもう仕方ない。確かめなきゃ。伝えていいのか。もし本当にサボも同じ気持ちだというのなら――
「えっと……話を戻すとつまりさ、ぼくんは――」
「おれは……お前が好きだ」
「……っ」
「だから、これからもそばにいてほしいし守りたい。けど……おれがどうしようもなくなったときは支えてくれねェか?」
好き。たったこの一言を言うのに、サボがどれほど苦しんで迷ったのかにはわからないし、きっとこの先もわからないままだろう。それでも伝えてくれた。
数日前にコアラと「今はこのままでもいい」なんて言ったばかりだというのに、はサボに気持ちを打ち明けられてどうしようもなく喜びに打ち震えている。
これから革命軍がどんな未来を歩もうと、はサボを部下として――そして時には彼を愛する女性として、支えていきたい。
は立ち上がってサボに近寄り微笑み返す。
「もちろんですっ……私も総長が好きだから」
隠さずにもはっきりと言葉にする。その答えにサボは「ありがとう」と言ってやさしく笑った。胸の奥がじんわりと温まっていく。
「呼び方戻ってる」
「そんなすぐ戻せないよ」
「じゃあ間違えたらお仕置きな」
「なにそれ……でも仕事のときは総長でお願いします」
の言葉に、サボの「なんだよそれ」というつまらなそうな納得していない声がかすかに響く。それから――
それから、見つめ合って数秒。どちらからともなく二人の笑い声がの部屋をあたたかく満たしていった。