嵐の中の邂逅(3)

 医務室から船室に移動させてもらえるということがわかったが、いずれにしても危機的状況であることに変わりなかった。何より致命的なのは革命軍のメンバーに連絡を取る手段を持ち合わせていないことだ。子電伝虫は常にリュックにしのばせているのだが、ロー曰くの所持品はあのエターナルポースのみだったというからリュックは船と一緒に流されてしまったのだろう。どのみち子電伝虫では本部にいるメンバーに連絡が取れない。万事休す。
 そもそもこの船にいること自体が想定外だし、もっと遡るなら嵐に巻き込まれたことが想定外だった。一人でも大丈夫だと、任務遂行できるのだと証明するつもりがこんな結末を迎えるとは誰が予想していただろう。”偉大なる航路”の海に絶対などないことはわかっていたはずなのに。怒りに任せて本部を出た結果が、海賊に拾われるとは革命軍として情けない。
 とはいえ、嘆いてばかりいても仕方ない。何か脱出方法を考えるべきだ。
 嵐のあと、が助けられてこの船に乗ってからどのくらい経ったのか、そして彼らがどこへ向かっているのか。まずはそれをつきとめなければ。
 案内してくれるという航海士を待っている間、の頭の中は次に取る行動を考えることで一杯だった。誰かが入って来たとき、だからはそれが人ではなくクマであることに気づかず、ふと顔を上げた瞬間叫んでしまったのは仕方ないことだった。


「えっと、ベポさん?は航海士なんですよね」

 一人思案していたところに突然現れた人ではない何かに驚いたに対して、しかしその何かはショックを受けたように「おれってそんなに怖い?」と尋ねてきた。一時呆然としたは慌ててそうではなく驚いただけなのだと否定すると、ほっとしたようにシロクマの彼が隣に腰かけた。
 見た目がクマの彼は名をベポといい、ミンク族だという。動物の顔や特徴を持つが、完全な動物ではなく半獣人という扱いなのがミンク族独自のそれだ。も詳しいことはあまり知らない。
 兄を探すために島を出たものの、間違って"北の海"に行く船に乗ってしまったらしくらしくそこでローたちに出会ったのだという。それ以来ずっと一緒にいるのだそうだ。

「故郷に帰るために勉強してたらいつの間にかね。キャプテンは見た目がアレだから怖いだろうけど、優しいんだ」
「そう、なんですか? 私には随分と厳しい態度でしたが」
「それは……えっと、」
「あ、名乗ってなかったですね。私――フローレス・ヴァン・と言います」
が嘘をつくからキャプテンも頭にきたんだよ」
「……」

 やはり彼には嘘だと見抜かれていたようだ。素性を明かせないなら仕方ないと言っていたし、ただの観光客は普通エターナルポースを持ち歩かない。それに現在のアンバー王国は気軽に観光で行くには危険な場所だ。秘密裏に入国するならまだしも、堂々と観光船で向かうような場所ではなかった。つまり、トラファルガー・ローには最初からすべてお見通しだったわけで嘘をつくだけ無駄だったのだ。
 海賊でもなければ海軍でもない。じゃあ何者だと彼の中で疑問が生まれて探りを入れてきた。当然のことだ。それなのに当の女は観光船とかほかの人間は流されたとか平気で嘘を吐いたものだから、疑惑は深まったというわけである。

「でもにも事情があるんだよね?」
「ごめんなさい。でも誓ってあなたたちに害を為すようなことはしません」
「うん。おれもはそんな子じゃないってわかるよ」

 そう言って大きな手がのそれに重ねられた。不思議と怖くはなく、むしろ温かい毛布に包まれるような心地よい肌触りだった。喋るシロクマという強烈な見た目にもかかわらず、触れてみれば本物の動物の毛並みのようでペットみたいに思える。感触を確かめるように真っ白な手を撫でていると、ベポがぎょっとしたように腕を引いたのでも我に返った。何をしているんだ私は。

「ご、ごめんなさい」
「……と、とりあえず部屋に案内するよ。いつまでもこんなところに女の子を閉じ込めておくのは可哀想だし」

 気まずい雰囲気のまま医務室を出て、ベポの後についていく。意識を失った状態で連れてこられたためにこの船の内装を初めて目にしたが、今まで見たことのない構造をしていた。医務室があるのはどうやら地下のようでらせん状の階段をのぼって一つ上の階にいく。メインデッキにつながる階は食堂や風呂場、船長室、航海士専用の部屋などがあるらしい。
 ベポの丁寧な案内の元、にあてがわれた部屋はその食堂がある階だった。本来船員たちの居住区はもう一つ上の階だそうだが、空いている部屋がないのでこの階の使っていない部屋を、ということらしい。扉を開けたらまるで倉庫のように思えた(実際隣の部屋が倉庫である)。
 けれど先にベポが狭くてごめんね、と謝るので何も言えなかった。捕虜という形にはなるがこちらも身分を明かしていない分、横柄な態度を取ることはできない。だからといって、このまま大人しく留まるつもりもないのだけれど。

「食事はおれかキャプテンが持ってくるからなるべく部屋から出るなってキャプテンが……」

 役目を終えて出ていこうとしたベポが思い出したように振り返った。言いにくそうにしながらの顔をちらちら見ている。部屋から出るなというのはある程度予想していたことなので問題ない。しかし、何やらまだ言い残したことがある様子のベポにどうしたのかと問いかける。

「あと……その、」
「何か言いにくいことですか?」
「……この部屋にはシャワーがないでしょ」
「あ、そうですね。お風呂場は何時頃なら使っても――」
はキャプテンの部屋のシャワーを使って!」
「えっ、あ、ちょっとベポさん!」

 呼び止めに応じることなくベポは去っていってしまった。叩きつけられた扉を呆然と見つめながら、は我に返ってため息をついた。なるほど、言いづらそうにしていた訳はこれか……。同じ階に風呂場があるにもかかわらず使わせてもらえないのは男所帯だからだろうか。ハートの海賊団の構成は知らないが、女性の乗組員がいないとなると確かに面倒なことになりそうだ。ローの部屋というのがネックであるものの、シャワーを使わせてもらえるだけありがたいと思うべきだろう。
 ほっと息をついては部屋を見回した。ベッドと小さな机と洗面台、それから申し訳程度のクローゼットというシンプルな作りだった。しかもベッドと机は今しがたどこかの部屋から持ってきたらしいので、本当に倉庫のような扱いだったのかもしれない。
 さきほどの話で、船内をうろつける状態でないことは察せられた。の存在がどこまで知れ渡っているのかわからないが、不審な女がいると騒がれでもしたら大問題である。自身、騒がれて事を大きくされるのは御免なのだ。なるべく存在を知られないまま、この船から立ち去るつもりでいるためにも。
 食事がいつ運ばれてくるかわからない今は、身体を休めて体力を温存しておくべきと考えたはベッドに横になると、緊張の糸がほどけたように睡魔が襲ってきてそのまま眠りについた。


*


「で? どうするんですか、あの子」

 拾った女を医務室から空き部屋に移動させたとベポから報告を得たローは、自室で今後の対応について思案していた。予想はしていたが、そのあとペンギンたちがどうするのかとしつこく聞いてくるものだから集中できない。
 女の救助を手伝ってくれたこいつらには確かに説明が必要だろう。仲間になるわけでもないのに、得体の知れない人間が船内を闊歩していたら納得いくはずがない。ベポには「誓って害をなすつもりはない」と言っていたらしいが、どこまで信用していいのか。見た目で判断すれば確かにその通りだろう、どう見てもトラファルガー・ロー率いる海賊団とやり合うだけの能力があるとは思えない。
 だが、女の素性がわからない以上安直な判断もできない。バックにとんでもねェバケモンがついてでもしたらそれこそ命取りになる。

「まさかアンタ、本当に知らないままでいいと思ってるわけじゃ――」
「んなわけねェだろうが。あの女のことはこっちで調べる、ちょっと気になることもできたしな」
「調べるって見当でもついてるんスか?」
「いや、そうじゃねェ。あいつの名前に聞き覚えがあるってだけだ」
「あーやっぱりどっかの島で引っかけた子なんでしょキャプテン」
「ゴチャゴチャうるせェ。違うっつってんだろ」せっつくペンギンたちを払いのけて出ていくよう促す。ひとまずローの中で女に対する処遇が決まった。「あいつのことはおれから指示を出すまで黙ってろ。もう少し様子を見る。だが、妙な真似しやがったらそんときは容赦しねェ」

 二人が返事して船長室を出ていくのを見届けたローは書物が並ぶ棚に手をかけて目的のモノを探し始めた。