遠き日の思い出

 はサボが革命軍にやって来た頃からの付き合いだった。
 十歳のとき、母国を出た瞬間”天竜人”によって海に撃ち落とされたサボをドラゴンが助けてくれた縁から革命軍に身を置くことになった。戦闘に関して鍛えてくれた人はドラゴンだが、こと諜報活動に至ってはの父であるウォルトに叩き込まれたサボは、彼の後ろにくっついていたを昔から知っていた。
 当時サボやくらいの子どもは少なかったため、彼女にとっても珍しかった存在だろう。母国にいた頃の記憶がないサボがと仲良くなるのは必然だった(ただ、仲良くなるまでの道のりは決して楽ではなかったのだが)。あの頃引っ込み思案だった彼女を連れ出し、いろんなことに付き合わせた気がする。手合わせもしたし、停泊していた島の探検にも連れてったし、ときどきは遊びもした。三つ下のはまるで妹のようで可愛いと思ったし、守りたいと思わせる存在だった。
 十年前のことがなければきっと今も変わらず接することができただろうに、という自覚はある。しがらみに縛られることなく、純粋に兄妹のような関係でいられたらどんなに楽だったか。
 だが、今のサボには抱えるものが多すぎてという存在自体を持て余してしまっていた。辛く当たることに罪悪感がないわけではない。コアラに指摘されるたび、不甲斐なさとやるせなさを実感させられる。それでも見ないふりをして誤魔化すしか、今の自分にできることがなかった。
 コアラたちが去って静かな時間が流れる執務室。目頭を押さえて揉みこむ。報告書に並ぶ活字ばかりを追っていて、少し目が疲れたらしい。一度立ち上がり、窓のほうへ移動して外の景色に目を向けた。雲行きは怪しかったが、まさかここまで悪くなるとは。特にこの近辺の海は荒れているように見えた。
 ――今頃、泣いてるか……?
 数時間前に突き放した部下を思い出して、またサボの心の温度が下がる。やりたいようにやらせとけとは言ったものの、「足手まとい」は初めて口にしたからさすがに堪えられないかもしれない。あとで様子でも見に行くか。そう思って残りの報告書を片付けてしまおうと再び執務机に戻りかけたとき――
 バンッ!
 ノックもなく開け放たれた扉は留め金を壊すのではないかと思うほど騒々しい音を立てた。

「おいコアラ。お前の力でそんな勢いよく開けたら壊れ――」
「大変だよサボ君! がっ……!」

 サボの言葉に被せて、コアラは必死に何かを伝えようとしていた。いま、彼女はと言わなかったか?
 冷や汗がどっと吹き出るのを感じながら、しかし落ち着き払って質問する。

「何があった?」


*


 上司の執務室を出て、ハックとともに作業を始めてから二時間ほど経った頃だろうか。血相を抱えたエリスがコアラたちのいる作業部屋まで息を切らして尋ねて来た。
 が。船を。調査に。戻らなくて。たどたどしく単語をぶつ切りに呟くエリスの話は要領を得ない。気が動転しているみたいなので、ひとまず落ち着くよう彼女の肩をそっと叩いた。深呼吸させ、背中をさすってあげればやっとぼことで、エリスは一から状況を説明してくれた。
 簡潔にまとめるとこうだ。
 サボと口喧嘩をしたあと、は自分の力を証明するといってアンバー王国に一人で調査に行った。船着き場の見張り隊員もを見送ったというから間違いないとのことだ。しかし、その隊員からの報告によれば「総長からの個別任務」という名目で本部を出ていったのだという。一雨来るのが目に見えていたために、一応気をつけるよう伝言したらしいが、あれから戻って来た様子もなくこの嵐だ。巻き込まれたのではないかと心配して報告しに来てくれたようだった。
 話を聞き終えて、コアラは頭を抱えた。アンバー王国に一人で調査に乗り出すことは予想の範囲内だったのだが、まさかあの後すぐに出ていくとは誰が予想できただろう。しかもエリスの話ではエターナルポースを持っていたという。ああ、はそこまで情報を手に入れてしまったのかと嘆きたくなった。
 事情を説明してくれたエリスをハックに任せて、コアラはすぐに上司の部屋へ向かった。
 そして彼にも同じ説明を繰り返し、今に至る。

「あいつ、隠し持ってたのか」
「ううん、きっとほんとはあのとき――呼び出されたときサボ君に渡すつもりだったんじゃないかな」
「……なるほどな。おれ自身がそのチャンスを潰しちまったわけか」
「頭に血がのぼって渡しそびれたんだと思う。は……本当は……」口ごもって悔しそうにするコアラに、サボが少しだけ頬を緩めた。
「わかってるよ。あいつは元来チームを大事にする奴だ」

 一瞬だけ優しい表情を見せたサボは、しかしが一人でこの嵐の中をどうやり過ごしているのか気が気でないといったふうにすぐまた表情を曇らせた。もちろん、彼女の経験から言えば"偉大なる航路"の気候の変化には幾度となく立ち向かってきたのだが、何せ一人で出ていったのだから巻き込まれても助けてくれる人間はいない。その事実がコアラたちを失望させる。
 ……。
 ふとサボに目を向ければ、拳を強く握って歯がみしていた。自分で蒔いた種なだけに、その悔しさはコアラ以上だろう。の性格を理解できていなかったことにも苛立つが、どうして渡してくれなかったのかという身勝手な思いも少なからずあった。とはいえ、ここで嘆いていても事態が好転するわけではない。早く手を打って連れ戻さなければ。

「それで、どうする?」
「そりゃァもちろん、おれたちも出る」
「……はい」
「追いかけるぞ」

 ポールハンガーにかけてあるコートを羽織ったサボを慌てて追いかけるように、コアラも部屋を後にする。焦燥感にかられる上司の背中を見ながら、どうか無事でいるようにと海へ繰り出してしまった部下を想ってコアラは廊下を急いだ。