探り合い(1)

 バルティゴを出てから一週間が経とうとしていた。状況は変わらず、が今いるのはトラファルガー・ロー率いる海賊潜水艦ポーラータング号の倉庫のような一室だ。食事は本当にベポかローが持って来てくれるのだが、あれからベポとは会話も増えてきたのに対して船長であるローとはどこか一線を引いて必要最低限の会話しかない。も必要以上に話しかけたりしないし、向こうも話しかけるなオーラを放っている気がする。ベポほど愛想がいいと思えないので仕方ない。
 のことはやはりほかの船員たちには知られていないようで、食堂や風呂場の喧噪はこちらにも届いているががいる部屋には誰も近寄ってこない。こちらとしても姿を見られるのは避けたかったのでちょうどいい。まあ見つかってしまうのも時間の問題かもしれないが、そうなったときはローたちが何とか誤魔化してくれるのだろう。
 部屋から出られないのは苦痛だったが一つ収穫もあった。
 シャワーを利用するため一定の時間を船長室で過ごしているは、その部屋であるものを見つけたのだ。アンバー王国のエターナルポースを奪われたことは痛手だが、それ以上に仲間へ連絡できないことが一番の問題だった。そう、船長室に電伝虫があることを発見したのである。よく考えれば、王下七武海の人間が電伝虫を所持していないほうがおかしい。
 がそのことに気づいたのは三日目のことだ。だからといって、何かしようと思ったことはなかった。
 船長室のシャワーを使えるのは午後の十時以降で、かつ本人が在席しているときのみなのだが、その日はベポたちと会議か何かあったのか予定より遅れて十一時過ぎになった。会議終わりにわざわざを呼びに来てくれたようで、そのとき彼が手にしていたのが電伝虫だったのだ。
 呼ばれるまま彼の後ろをついていき、船長室に戻ったところで電伝虫はベッドのヘッドボードの棚に置かれた。目ざとくその場所をチェックしたは、散々迷った挙句それを今日決行することにした。
 ローが持つ電伝虫を少し拝借するのである。の中の計画では、深夜の寝静まった頃に船長室に忍び込み電伝虫を持ち出して自分の部屋へ。それから仲間に連絡を取ったあと何事もなかったかのように元に戻す。見張りがいる可能性もあったのだが、何日か様子を見たところこの辺りはそうした船員がいるわけではなさそうだった。船長室がある階ということもあるのかもしれない。普通見張り番は船の前方や後方をうかがうものだから、わざわざ船内に人員を割くなんてことはしないだろう。にとって好都合だった。


 そうしていつものように船長室のシャワーを借りて部屋に戻ったは、その時を待った。仮眠を取ろうと一度はベッドに横になったものの、興奮なのか緊張なのか寝つけなかった。結局そのまま深夜二時を回った頃、静かになった船内を確認したはそっと扉を開けて忍び足で船長室に向かった。
 ほかの船員たちは別の階だからか静寂に包まれている。の息遣いさえ、この無音の中では目立つので息を殺して船長室の扉を開けた。ぎい、という軋む音がしたが幸いにも中の人間は寝息を立てているようだった。
 本来、このような不審な行動は捕虜という立場上慎むべきだ。ただでさえ素性を伏せている身であるのに、見つかれば余計に怪しまれることは間違いない。それでも上司の言葉を無視して出てきてしまった以上、状況を報告する義務がある。もう呆れて心配もされていないかもしれないが。
 痛む良心を無視して、音を立てずにベッドへ近寄っていく。船長室はまったくの暗闇というわけではなく、小さな光が揺らめていた。机に置かれた手提げ灯の明かりを頼りに、ヘッドボードの棚を確認する。
 そこには数冊の本とキャスケット、そして目的の電伝虫が一番奥に置かれていた。よりによって奥側に……。
 しかし文句を垂れている暇はない。早く持って帰り、事を済ませて元の位置に戻しておかなければ。
 右手を伸ばして奥にある電伝虫に人差し指が触れた。よし、これで仲間に連絡が取れる。そう確信したときだった。
 ――がしっ!
 何かに手首を掴まれたかと思うと、強い力によって引っ張られる。予期せぬ衝撃に逆らえなかったは、そのまま引きずられるようにしてベッドに転がってしまった。その拍子に電伝虫が虚しく床に落ちる。
 気づけば視界が反転していた。薄いオレンジの光がその顔に陰影を作っている。激しい剣幕で見下ろされ、首元にひんやりとした感触を覚える。見なくてもわかる。これは、刀だ。

「どういうつもりだ」

 低い、そして機嫌の悪い声だった。当たり前だ。人の部屋に断りもなく入り、挙句の果てに電伝虫を持ち帰ろうとした。借りるだけ、なんて言い訳はこの際どうでもいい。彼にとって信用を失う――最初からなかったに近い信用が完全に失われた瞬間だった。

「ご、ごめんなさい」
「どういうつもりだと聞いてる」
「……仲間に、連絡を取りたくて」
「仲間、か。都合のいい言い訳だな、おれたちを囮にでもするか?」
「う、嘘じゃないです!」
「今ここでおれに殺されるか身分を明かすか……どちらか選べ」

 ぐっと刀の峰が押し込まれて思わずせき込む。涙までにじんできて視界が霞む。
 どうやら彼は本気らしい。殺されるか、自分が何者かを晒すか。言葉を濁して見逃してもらうことなど、到底できそうになかった。どうしてもっと早くに気づけなかったのだろう。トラファルガー・ローが覇気の持ち主であることを。見聞色があるのなら、の存在はもしかしたらあの部屋を出た時点で気づかれていたのではないか。それを泳がせておいて、現行犯の瞬間を狙ったようなこの仕打ち。なかなかどうして性格が意地悪い。
 とはいえ分が悪いのはこちら側。彼が少しでも刀を翻せば、刃がの首を襲う。死ぬわけにはいかないの答えは決まったようなものだった。

「……わかりました。すべてお話しします」
「あれだけ渋ってた割に随分と素直だな」
「殺されたくありませんから……だから早く刀をおさめてください、怖いですっ!」

 睨みつけて言うと、彼はしばらくそのままの状態での瞳をじっと見つめていたが、やがてその言葉を信じたのか愛刀を鞘にしまい込んだ。同時に拘束されていた腕も解放される。薄暗い中では確認できないが、なんとなく触れてみるとまだそこに刀の感触があるような気がしてぞっとする。相当な力で押さえつけられていたらしい。恐ろしい男だと思った。
 身を起こしてベッドから立ち上がると、ローは静かにそこに座れと命令する。視線の先には執務机とは別に設置された小さなテーブルとイスがあった。大人しく従ったは、何をどう説明したらいいのか必死に脳内で整理する。革命軍は確かに各地でクーデターを起こしているが、その存在は秘匿されたものでなければならない。すべて話すとは言ったものの、あまりこちらの情報をペラペラと話すのは危険な行為に思えた。

「お前は何者だ」

 真向いに座った彼は、嘘はつくなという獰猛な目をこちら向けて言った。
 今度こそ逃げられない。は重い口をゆっくりと開いた。