探り合い(2)

 女の気配がこちらに向かっていることは気づいていた。扉が開けられた時点で起きてもよかったのだが、奴が何をするのかもう少し様子を見てからでもいいという余裕があった。音を立てずに必死に歩いてくる様が目を瞑っていてもわかる。向こうはこちらが気づいていることに気づいていないだろうが、一体何をするつもりでいるのか。まさか自分の首を捕りに来たわけではあるまい。
 不思議に思いながら女の行動を注意深く見ていると、やがてベッドのほうまで近づいてくる気配を感じた。うっすらと目を開けて状況を確認する。間近に迫った女の右腕が見えて驚くが、やっと彼女が何をしようとしているのか理解した。
 ――なるほど、電伝虫か。
 目的がわかれば行動に移すのは容易かった。伸びてきた女の腕を掴んで体勢を変え、ベッドに縫いつける。愛刀の「鬼哭」は常に近くに置いてあるので、鞘から取り出して女の首にあてがった。言い訳を聞くくらいならしてもいい。ただし、場合によっては容赦しない。この船に害をもたらすなら尚更だ。
 見下ろす女はこの状況をまだ理解できていないようで目を見開いてただ驚いているだけに見えた。だが、こちらがどういうつもりだと問いかければ徐々にその表情が崩れて暗がりでもわかるほど顔面蒼白になる。女を組み敷くのはそうした行為だけのはずが、今は色めいた雰囲気の欠片もなく二人の間に流れるのは緊迫感だった。
 か細い声で謝罪する女に、もう一度問いかける。数秒言い淀んだあと、どんな言い訳が出てくるのか構えていれば「仲間と連絡が取りたかった」とのたまった。思わず嘲笑がもれる。
 仲間か、お前のいう仲間は一体なんだ。

「都合のいい言い訳だな、おれたちを囮にでもするか?」

 海軍や世界政府関係者には見えなかったが、身分を隠しているのだからそう見えなくても仕方ない。諜報活動をしていれば見た目でわからなくて当然だ(それにしては行動に目に余るものがあるが)。この際女がどこに所属していようが問題ない。仲間に連絡を取らせなければいいだけの話だ。
 さらにローは追い打ちをかけるために続ける。

「今ここでおれに殺されるか、身分を明かすか……どちらか選べ」


*


 結果、女は素性を明かすことを選んだ。殺されたくないという至ってシンプルな理由だが、こちらとしても無意味な殺生は好まないからちょうどいい。
 とはいえ、彼女の風貌は海軍や政府ましてや海賊として少々頼りない印象を受ける。もしかしたら世界中を探せばいるのかもしれないがそれにしたって、だ。掴んだときの腕の細さは野蛮な世界と無縁に生きてきたような感触がした。
 すっかり目も覚めて、女とテーブルを挟んで向かい合う。すべてを打ち明けるというからには、どうしてあの天候の中船に一人だったのかもわかるだろう。嘘をついたら今度こそその首を掻っ切るつもりもなくはないが、女は観念したようにぽつりと語り始めた。

「あなたが不用意に私の素性を漏洩しないという前提でお話しします」
「それは今後のお前の態度次第だが、まァいい。続けろ」
「私は革命軍に所属する者です。海賊のあなた方と接触することはほとんどありませんが、私たちがどういう活動をしているかはご存知ですか」
「……革命軍か。今までこれといった大きな動きは見せなかったが、トップである男の存在は有名だな」
「ドラゴンさんのことを知っているのであれば話は早いですね。私たちは世界政府――"天竜人"を倒すために存在します。本当の自由を求めて。仲間に連絡すると言ったのは革命軍のこと、つまりあなた方に危害を加えるような人たちでは決してありません」

 強い瞳がローを射抜くように見つめていた。先ほどまでの貧弱な態度から一変して、しっかりと意志を抱く戦士さながらの顔をしている。気づかれないようにあえて弱そうなふりをしていたのかと問えば、確かに自分の存在は目立っていいものではないが戦闘能力に関して一つの海賊団を相手にできるほどではないと答えた。
 諜報活動を主にしているという女はフローレス・ヴァン・と名乗った。すでにベポから聞いていたが、やはり聞き覚えのある名前だった。あれから文献をあさって調べているものの、未だ答えにたどり着いていない。頭の中で引っかかるものがあるのに、紐が複雑に絡み合っているようなもどかしさ。解けそうで解けない。あと一ピース足りないパズルのように。

「なら、アンバー王国のエターナルポースは調査のためか?」
「はい。実は嵐に巻き込まれる前、上司と……その、喧嘩をしてしまって。本来なら仲間と共に乗り込む予定だったのですが、足手まといだからお前は調査から外すと言われてつい頭に血が上ってしまったんです。それで勝手に一人で調査しに出たらこのザマというわけでして……」
「確かにアンバー王国はここ一年で情勢が悪化しているが、革命軍が乗り出す案件ではないだろう。あれは内戦じゃねェのか」
「噂を、聞いたんです」
「噂?」
「最近怪しい組織が陰でコソコソ動いている、と。クーデターを起こそうとしているのではないかって近隣にある××島の方々が言っていました」

 詳しいことは実際に調査しないとわかりませんが、とは付け加えた。
 その瞬間、頭の中で何かが弾けるような感覚に襲われる。アンバー王国。クーデター。暗躍する組織。革命軍。フローレスという名前。
 整理した情報を順序立てて並べたとき、ローの脳内にかちりと当てはまる一つの事件が浮かび上がった。ここ数日ずっと不足していたピースを本人自ら埋めてくれたわけである。と、同時に彼女が話してくれた経緯を反芻して愕然とした。
 はアンバー王国に自ら調査しに向かっている途中だと言っていた。嵐が来なければ今頃もうアンバー王国に到着していただろう。彼女の話ぶりから察するに本人は気づいていないように見えるが、乗り込んでしまえばそれも時間の問題と言える気がした。

「話を戻すが、それでお前は上司の言いつけを守らず勝手に出てきたわけだな」
「……はい」

 しゅんと、まるで犬が飼い主に怒られていじけているような姿に見えた。
 責めているつもりはない、そう言おうとして口を噤む。本当にそうなのか? いや、確かに責めるつもりは毛頭ないのだが、の危うさは出会って数日としても目に余るものがあった。足手まといだと言われて激昂し飛び出してきたことや、囚われの身で船長室に忍び込んでくるのは一海賊団を率いる者として説教したいところである。その上司とやらの気持ちがわからなくもない。
 しかし、ローがそれを説き伏せる義理はない。ないのだが……。

「それで厚かましいお願いなんですが、仲間と連絡をとってもいいですか」

 この問いに対するローの答えはすでに出ていた。しかしそれとは別にたった今好奇の対象として認識された目の前の女をみすみす返すのは、ハートの海賊団船長であるトラファルガー・ローの行動理念に反する気がした。
 あの嵐の中、自分の仲間が偶然彼女を見つけたことは何かの天啓かもしれないと柄にもないことを思う。ローがこの十三年間ケリをつけようともがいているところに、新たな活路となるかもしれない存在が彗星の如く現れた。ならば情報はできるだけ多く引き出すに越したことはない。

「連絡を取るのは認めてやる、敵でないとわかったからな。ただし、条件がある」

 彼女が何者か判明する前と後でローの考えは百八十度変わっていた。このチャンスを見逃すわけにはいかない。たとえ不発だとしても。
 条件という言葉に彼女がぴくりと反応を見せたので、ローはテーブルに頬杖をつくと目の前の相手に向かって不敵に笑った。